2013年05月15日

明治新政府の「天皇制・国民国家」戦略

日本とアジア 歴史編(18)

人々のあいだに仕切りを作り、それぞれに役割を割り振る――身分制社会は農業時代の仕組みです。
その仕切りが不都合になる――それが、産業の時代。
時代の要請として、「国民」、そして、国民国家が生まれます。
強い海流に隔てられ、孤立を保ってきた日本。
同質社会という点で、「国民」の形成には圧倒的に有利です。
その有利な条件を背景に、明治新政は西欧の国民国家へのキャッチアップを図ります。
見事といいたいほどの鮮やかさで、「国民国家」をつくり上げました。
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手段は3つ。
1) 天皇制と首都・東京
江戸時代の士農工商という身分制社会。
それを、「すべて、天皇の民」として統合した天皇制。
振り返って、見事としか、いいようがありません。もうひとつ。
東京駅、東京大学、霞が関――これまた、見事な統合の仕掛けです。
2)廃藩置県
江戸時代の人々は、いわば「藩民」。
それを、「日本国民」に変える。
廃藩置県――藩を廃し、県を置く。
中央政府による、全日本の一元支配。
強引だが、鮮やかです。
3) 戦争
戦争も、(国民国家の形成には)好都合です。
西ヨーロッパで国民国家が形成された時代――それは、各国が覇を競った戦争の時代です。
そして、明治日本。
戊辰戦争(1868~69年)、西南の役(1877年)、日清戦争(1894~95年)、日露戦争(1904~05年)と戦いを続けました。
その後も、第1次世界大戦、太平洋戦争――戦争の歴史は、同時に、日本の中央集権国家への歩みです。
そして、恐ろしいほど「日本国民」になってしまったわたしたち。
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2013年05月14日

国民国家の時代

日本とアジア 歴史編(17)

「みんながヒツジ、だれでも羊飼い」の(相当に複雑な)単層社会。
それはつまり、人々を隔てる仕切りのない社会。
いわゆる市民革命は、仕切りを順繰りに取り払ってきた努力のあとです。
その努力はいまも、民主化というかたちで進められています。
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なぜ、仕切りがあってはならないか?
大量生産・大量消費の時代、少数者相手では商売にならないからです。
貴族だけが使ってくれても、工場は動かせません。
貴族だけが乗ってくれても、列車は動かせません。
新しい時代が求めたもの――それこそが、ヒツジの群れ。
しかし、問題があります。
彼らがバラバラでは、四方八方に散らばるだけ。
ヒツジたちは、まとまらなければなりません。
そこで、国民が登場します。
同じような能力、同じような欲望、同じような関心、そして「同じグループに属している」という意識。
そんな人々の集まり。
近代化とは、つまり、国民づくり。
国語の成立、(国民の)歴史の共有、普通教育の普及、マスコミや広告の発達と巨大化……。
もうひとつ、戦争も、国民づくりには有効です。
思い出してください。
農業時代のクニは、ヒツジたちには無縁の、統治者たちのモノ――戦争で勝っても負けても、統治者たちのことです。
しかし、産業時代の国民国家は、みんなのモノ――勝ち負けは、みんなの課題です。
あなたは何者か?
問われて、国籍で答える。
クニ(国家)が、人々のアイデンティティの核になる。
それは、産業の時代のことです。

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2013年05月13日

農業社会と産業社会 何が違うか?

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日本とアジア 歴史編(16)
約1万年前に始まり、約9800年続いた農業社会。
ほぼ2世紀半前に、それを引き継いだ産業社会。
何が違うのか?
何が、変わったのか?
表にしてみました。
まず、社会の構造。
農業時代の社会は、2層構造でした。
羊飼いとヒツジたち。それは、
(乏しい)余剰を生産するものと、それを利用して(奪い取って)暮すものの2つの階層です。
そして、強権を振るい、文化を独占したのは、羊飼い集団。
この仕切りが取り払われたのが、産業時代。
だれもがヒツジ、そして、だれでも羊飼いになれる。
そんな、単層の社会です。
農業社会の情報伝達――高札です。お上が下々に伝えます。
産業社会の情報伝達――マスコミの大発達。みんなに同じ情報、みんなが同じ欲望
農業社会――家族労働、自給自足が原則
産業社会――「職場と家庭の分離」。それはまた、男と女の役割分担の発生。義務教育……

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2013年05月10日

産業社会とは?

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日本とアジア 歴史編(15)
産業社会とは、どのような社会か?
地下に眠る化石燃料の利用――それは、人類のエネルギー利用を爆発的に増やします。
その大規模エネルギーが可能した、「大量生産」、「大量輸送」。
それを支えるのは、「大量消費」です 。
では、「大量消費」は、だれが支えるか?
「民」です。
農業の時代には、ほとんど奴隷同然だった人々。
彼らが、新しい時代の主役です。
羊飼いたちを次々に放逐します。
それが、市民革命。
「みんながヒツジ、だれでも羊飼い(になれる)」の社会。
とはいえ、「みんな」が、バラバラでは困ります。時代が求めたのは――同じようなモノを欲しがり、同じようなことを考え、同じような能力を持つ、そして、同じ集団に属するという意識をもった人々。
それが、「国民」です。
そんな国民を生みだす仕組みも生まれます。
義務教育、マスコミの発達、広告業の隆盛……。
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2013年05月09日

産業革命とは何か?

日本とアジア 歴史編(14)

はなしを農業の時代から産業の時代への転換に戻します。
18世紀末後半、イギリスではじまった人類史の飛躍。
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炭鉱で使う蒸気機関の改良(ジェームス・ワット)――それが、ブレークスルーでした。
新しい動力源――石炭・石油への道が開かれます。
それまで、人類が用いた動力は、みんな、自然界に存在する「チカラ」。
たとえば、ヒトや動物(ウシ、ウマ、ラクダ、ラバ、イヌなど)の力、水力、風力……。
なかでも、決定的に重要だったのはヒト(の労力)。
だから、動物たちと同様に扱われる人々――奴隷が、必要になります。
限られた動力、わずかなアウトプット。
食糧というインプットを差し引くと、極めて限られた余剰しか残りません。
その乏しい余剰を限られた人々――羊飼いたち――が取り上げる。
そんな(いまになって考えると)残酷だった仕組みを変えたのが、産業革命です。
いまから、たった2世紀半前。
大規模な工場を建設し、モノを豊富に供給することを可能にする。
列車や汽船で、モノやヒトを大量に運ぶことを可能にする。
そんな科学・技術の発達が始まります。
そして、ここがポイント――大量生産を支えるのは、大量消費。そして、それを支えるのは、(多数の)消費者=ヒツジたち。
平安時代、牛車は、ごく少数の貴族を乗せて町を行きました。
今日、極めて多数の乗客を抜きにしては、列車の運行は不可能です。
こうして、歴史上初めて訪れたヒツジたちの時代――いや、みんながヒツジで、だれでも羊飼いになれる社会。
それが、民主主義社会。
それを生みだしたのが、産業革命です。
狩猟採取時代は、みんなが狩人の単層社会。
農業の時代は、「余剰を生産するものとその余剰によって生活するもの」のいる重層社会。
それが、産業社会になって「(複雑で厚みを増したが)再び(狩猟採取時代のような)単層社会に戻った」――今西錦司さんの見立てです。

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2013年05月08日

梅棹生態史観B

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日本とアジア 歴史編(13)
第1地域と第2地域は、何が違うか?
古くから高度な文明が発達し、大帝国の興亡が続いたのが、第2地域。
それに対して、文明から外れた辺境に位置し、第2地域から文化を取り入れ、徐々に発達したのが、第1地域。
梅棹さんの論法では、右上から左下に向けて斜めに走る乾燥地帯が「悪魔の巣」。
そこで周期的に力を蓄え、周辺の文明地域に襲い掛かる砂漠の民。
その侵攻を受けて、第2地域の文明は、高度に発達するたびに破壊され、新たな出発を余儀なくされ、近代化に遅れをとった。
それに対して、「悪魔の巣」から遠く位置する西欧と日本は、砂漠の民の侵攻を受けることなく、近代的な資本主義体制に移行できた。
いわば、第2地域は、高度な文化が発達するのだが、十分に成熟する前に「砂漠の民」によって破壊されてしまう。それが、植物学でいう、アロジェニック・サクセション(他成的遷移)です。
それに対して、第1地域は、その破壊をまぬがれ、十分に成熟して、次の時代に移行できた。つまり、植物学でいう、オートジェニック・サクセション(自成的遷移)が加納だった、と。
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2013年05月07日

梅棹生態史観A

日本とアジア 歴史編(12)
アジアで、日本だけが近代化に成功したのはなぜか?
それを、1枚の図で説明してしまう。
梅棹生態史観の鮮やかさです。
楕円形で描かれたユーラシア大陸。
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東端に日本、西端に西欧――これを第1地域とします・
中央部は、第2地域。
中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラム世界の3つに分けられます。
近代的な資本主義体制が確立できたのは、第1地域です。
それに対して、第2地域は、なかなか近代化が進みません。
なぜでしょう?
右上(北東)から左下(南西)にかけて、斜めの帯が走っています。
これが、曲者です。

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2013年05月06日

梅棹生態史観@

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日本とアジア 歴史編(11)
日本と西欧――ユーラシア大陸の東西の両端――だけが近代化に成功した。
ずばり梅棹忠夫氏の説く「文明の生態史観」です。
半世紀以上も前、1957年に発表されました。
敗戦から10年余り。
日本が、戦争の反省からくる後進性意識にさいなまれていた時代です。
学問・言論の世界では、マルクス主義が幅を利かせていました。
そんなときに、颯爽と登場した梅棹生態史観。
その関心の中心――アジアで、日本だけがなぜ近代化に成功したか?
停滞の日本しか知らない、いまの若い人々には信じられないことかもしれません。
しかし、50年代から80年代にかけての日本は、アジアの<不思議>でした。
なぜ日本は、近代化に成功したか?
発展したか?
そのなぞを追って、たとえば明治維新の研究に、あるいは日本式「会社」の研究に、日本文化の研究に、アジアから優れた若者たちが日本にやってきた時代がありました。
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2013年05月05日

農業時代末期の世界

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日本とアジア 歴史編(10)

農業時代の末期――イギリスで産業革命の始まる18世紀後半を迎えるまでの数世紀――ユーラシア大陸には、2種類の仕組みがあった。
ひとつは、大陸の東西の両端(日本と北西ヨーロッパ)で生まれた封建制度。
もうひとつは、大陸中央部で維持された、昔ながらの帝国システム。
そして、興味深いことに、次の産業社会にスムーズに移行できたのは、封建制度の生まれた、大陸両端の西欧諸国と日本だけでした。
なぜ、大陸中央部の国々は、産業の時代に向けてハンドルを切れなかったか?
第2次世界大戦後、多くのアジア諸国が独立しました。
新興国のナショナリズムに託された時代の希望――。
それを、まだ小学生だったわたしですら、肌に感じるように意識しました。
あの希望が、実は(戦後という時代がつくりだした)幻滅であったこと――それを知るのに、相当の時間が必要でした。
独立したといっても、国のかたちは農業の時代のままだったのです。
独立まで外に向かっては団結できた諸民族が、いざ国づくりとなると、バラバラ。
「国民」の形成ができないまま、農業の時代さながらの強権的なシステムが続きます。
それが、アジアの国々。
バラバラだと、なぜ、産業社会への移行が困難なのか?
その問題は、後で・・・。
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2013年05月04日

封建制国家の登場

日本とアジア 歴史編(9)
封建制国家の登場

11、12世紀ごろ、封建制度と呼ばれる、新しい社会の仕組みが西ヨーロッパに生まれます。
農民や地方領主、そして、中央の君主まで含む、ある種の相互安全保障システムです。
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地球環境が温暖化に向かった時代。
世界各地で農業生産が飛躍的に増大します。
開発が進み、新しいムラが生まれます。
そこに、中央アジアや北欧から、ある種の「強盗集団」が襲い掛かります。
ムラの安全をどう守るか?
村々の安全を託されたのは、開発の主役となった、ごく小規模な領主たちです。
とはいえ、彼らもそれほど強大な力を持つわけでもありません。
そこで選んだのが、所領を君主に差し出し「安堵」を得るという方法です。
こうして、ムラと地方領主、そして、中央の君主と結ぶ支配の連鎖ができます。
似たような仕組みは、日本にも生まれます。
12世紀末の鎌倉幕府の成立。
従来の帝国システムでは、地方官は、君主によって派遣された徴税担当官。
私腹を肥やすのは、腕前のうちです。
しかし、封建制度では、世襲の領主は領民とつながりを持つ、領国の経営者です。
領国を富ませることが、繁栄の道です。
posted by Yoshimura_F at 06:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 卒業論文集