
日本とアジア 歴史編(21)
主権者である国民が、定期的に代表(代理人)を選び、「官」を指揮・監督する――民主主義の建前です。
日本でいま、うまく機能しているでしょうか?
いえ、とんでもない――わたしには、そう見えます。
産業の時代とは、具体的には「巨大装置」の時代。
いちはやく確立された、他の追随を許さない巨大装置――それこそが、時代の実力者です。
それが、いわゆる大企業、都市銀行、大手マスコミ、電力会社――。
わたしの属したマスコミ企業についていえば、社屋、社員集団、輪転機、販売網……などを備えた、巨大<装置>でした。
そして、(業界として)情報発信を独占し、そのことによって社会的地位を得ていた――内部にいた者としての実感です。
産業の時代、実質的に社会の支配権を握ったのは、そんな<装置>集団ではないか?
そして、つい見落としそうになる、桁違いに巨大な<装置>があります。
全国に網の目のように広がる組織を操り、税という底なしの財布を握る高級官僚の一群。
一流企業に、業界団体にと「天下る」現実が、それらを圧倒するあの人たちの実力を物語っています。
彼らが主導する巨大装置集団の組み合わせ――それこそが、(わたしの考えですが)産業の時代が行き着いた「既得権益層」。
少なくとも、お役所の仕事(資金=税)が増え続けること。
それがおそらく、いまの日本の行き詰まりの原点です。
「お役所しっかり!」しかいえないとすると、マスコミも同罪です。
posted by Yoshimura_F at 07:23|
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