2013年06月05日

生産と消費 三つの時代

日本とアジア 情報化社会編(12)
情報化時代の新しい生産・消費関係
農業社会、産業社会、情報化社会における生産と消費の関係を図にしてみました。
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農業社会――自給自足が原則です。生産者が食べて、使用して、来期のタネを保存して、残り(余剰)が、ほんの少し出ます。
その余剰を税として巻き上げ、利用するのが、管理エリート。
重要な点ですが、クニは、彼らのもの。
そして、生産者は、クニの外。文化の外の存在です。
産業社会――生産と消費の分離が発生します。
つまり、他人のためにつくり、他人のつくったものを利用する。
それは、規格大量生産、大量消費の社会。
そして、国民国家の時代でした。
情報化社会――生産と消費が重なる「場(S+D)」ができます。
具体的には、オーダーメイド。
場合によって、生産の過程に直接タッチできる。
以前、学生があげた例――針金と布が別売りのブラジャー。自分で焼き、自分でタレをつくる焼肉。
その他のさまざまは、次回――。
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2013年06月04日

生産と消費の関係

日本とアジア 情報化社会編(11)

「何が変わったか?」の続きです。
モノをつくる、そして、使う――だれが?
その点での変化。
農業社会のムラの暮し。
自給自足が、基本です。
自分(たち)の衣食住は、自分(たち)で賄います。
農作業、機織り、(結いの助けを借りて)家の建築・・・。
余った(?)コメは、領主(?)に差し出す。
産業社会――大量生産・大量消費の社会。
他人の消費のために生産し、他人のつくったものを消費する。
つくる場と、使う場が分かれます。
難しくいえば、生産と消費の分離。
そして、生まれた、(カネを)稼ぐ人と(カネを)使う人の分離。
いえ、男と女の役割分担。
そして、仕事場からの子どもの隔離。
いえ、<子ども>という階層の成立。
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情報化社会――。
コンピュータが可能にしたのが、注文生産(オーダーメイド)。
一人ひとりが、自分だけのものをつくれる。
いえ、つくってもらえる。
それは、<つくり、そして、使う>場。
それは、供給者(S=supply)と需要者(D=demand)がともに関わる場。
それは、(多分)情報化時代のビジネスの秘密。
そして、男と女、子ども――人々の関係が変わってゆく??
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2013年06月03日

「情報業」の大発展

日本とアジア 情報化社会編(10)
何が変わったか(2)
産業社会から情報化社会へ――。
何が、変わったでしょう?
文字通り、「情報業」が大発展しました。
特徴は、どれもこれも、いい加減で、不確かなこと。
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たとえば、アベノミクス。
実体経済はなないも変わらない。それでも、「期待」だけで、為替が動き、株価が乱高下する。
ケインズは、株価は『美人投票』だ、と喝破しました。
梅棹忠夫さんに「お布施経済学」があります。
お布施は、お坊さんの格と、檀家の格で決まる。
原稿料は、筆者の格と出版社の格で決まる。
需要供給曲線も、「原価+マージン」も関係ないというわけです。
先日、銀行員のお客さまにその話をしました。
「経済学は、どうも変?!」
「いえ、価格プレミアムという考えがあります」
品質、ブランド、囲い込み・・・そういうことでプラスαの価格をつけること。
「経済は、心理学」――そんなことばがごく普通に語られ、経済政策の根拠とされる。
「情報の時代」の経済は、まったくもって、いい加減、そして、不確か。
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2013年06月02日

集団の希薄化ということ

日本とアジア 情報化社会編(9)

前項の「集団の希薄化」を図にしてみました。
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農業社会そして産業社会――儒教・「礼記」の教えがぴったりです。
「修身斉家治国平天下」(自分の行いを正しくし、家庭を整え、国を治め、そして天下を平和にするべきである)
――念のため付け加えておくと、戦前の日本は、全国民に「修身」を強要しました。
でも、インチキもいいところ、「礼記」が説いたのは、お役人のモラルです。
それは別にして、自分⇒家族⇒国家⇒世界――と、所属する集団についての秩序の階梯があります。
それは、自己のアイデンティティについての階梯といってもよいでしょう。
情報化社会になると、状況は変わります。
家庭とも、企業とも、地域社会や国家とも違う「情報の場」。
そんな場が生まれ、そこで社会・経済活動の多くが営まれる。
かつて家庭にあった安息や育児すら、そんな場にゆだねられる。
それが、わたしたちがいま迎えようとしている、未来の社会??
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2013年06月01日

何がかわったか(1)

日本とアジア 情報化社会編(8)

一人ひとりが情報発信、そして、受信。
食卓を囲んで同じテレビ番組を見た家族の団欒、彼女からの電話を家族に聞かれながら受けた緊張――みんな過去のものです。
一人ひとりがパソコンや携帯をもち、一人ひとりが外界とつながる。
一人ひとりの、家庭からの湧出。
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同じことが、企業にも起こります。
地域社会にも起こります。
国家にも起こります。
一人ひとりが集団から抜け出る。
そして、別の集団の一人ひとりとつながる。
その結果起こったこと。
集団の希薄化。それが、実は、国際化。
国も地域社会も、企業も家族も、なんだか遠い。頼れない。
愛国心や愛社精神、礼儀作法……なんだかローカル?? 意味不明??
あらゆる境界が、あいまいになる。
そんな中で、同じ利害、同じ課題、あるいは、同じ趣味をもった世界中の人々と(ぼんやり)つながる――そんな時代が始まっているようです。
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2013年05月30日

マスメディアとウェブメディア?

日本とアジア 情報化社会編(7)

産業の時代は、マスメディアの時代。
新聞、ラジオ、テレビ……どれをとっても、ある種の装置産業です。
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立派な社屋。印刷機やテレビ塔。それなりに選びとった社員集団――。
そして、独占した情報発信!
マスメディアの特色のひとつは、地域限定だということです。
新聞は、夜の間に印刷して朝には届けます。
「配達可能範囲」という、制約があります。
ラジオやテレビは、電波塔を必要とします。
その電波の到達範囲という、限界があります。
特定の装置を備えた限られた発信者が、同一の情報を、限られた地域社会に伝える――それが、マスメディア。
人々の考えをひとつにまとめる。
マスメディアは、地域社会あるいは国家(これもひとつの地域社会です)形成の核でした。
ウェブメディアは、違います。
大規模装置は、不要。
ほぼだれでも、発信できます。
地域に縛られません。
地球の裏側の人々とすら、直接、交流できます。
「だれでも発信者、だれでも受信者」――それが、ウェブメディアの世界です。
ウェブメディアで結ばれた世界は、当然、地域社会や国家とは無関係です。
新聞やテレビの退潮。
若者が新聞を読まなくなった?
テレビがおもしろくなくなった?
――いえ、もっと深い事情が、ありそうです。
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2013年05月29日

何が情報化時代を生み出したか?

日本とアジア 情報化社会編(6)

大学にはいった年、計算尺を買いました。
1960年です。
初めて電卓を買ったのは、いつだったか?
覚えていません。
ワープロを使ったのは、たしか1990年代初め。
1行か2行しか読めませんでした。
90年代中ごろには、パソコンに変わっていました。
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80年代前半、インド・ニューデリー支局が職場でした。
電話で、原稿を吹き込んでいました。
写真送稿は、ニューデリー空港で東京便の乗客を探し、フィルムを託して、羽田で投函していただくようお願いしていました。
パキスタンのペシャワルに出張したときは、電報局にいってテープに打ち込み、送信を依頼しました。
80年代末、シンガポールからはファックスで送信しました。
90年代末、インドネシアのジャカルタからはメールで送信しました。
この情報技術の進歩。
情報化時代を生み出したもの。
それが、急激に発達した、計算・通信技術であること。
だれにも異存はない、と思います。
世界中のだれでも、どんな組織でも、パソコン(個人用コンピュータ)を利用し、ネットで結ばれる時代。
それが、情報化時代です。
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2013年05月28日

情報が価値を生み出す、とは?

日本とアジア 情報化社会編(5)

狩猟採集時代――自然にある食糧(食材)を見つけてとってくる、暮し。
農業時代――農産物という価値を生み出す、適地。
産業時代――巨大エネルギーを生み出す、地下からの化石燃料。
そのエネルギーを利用する、大規模工場や大量輸送機関、その他無数の大規模「装置」。
では、情報化時代は?
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もちろん、情報が価値を生み出す。
でも、どのようにして??
どこにでもある情報、無数にある情報、知られた情報、未知の情報・・・。
その中から、いくつかを選び出して(意味に気づいて)、結びつける。
うまくゆけば、巨万の富を手にすることができるでしょう。
情報を選び、つなぐ。
新しい気づき、新しい構想。
それを求めて、個人やさまざまな組織が、世界規模で競う。
それが、情報化時代ということだろう、と思います。
posted by Yoshimura_F at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2013年05月27日

情報とは何か?

日本とアジア 情報化社会編(4)

情報とは一体、何なのでしょう?
ずばりいえば、「なにもかも」です。
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ひとつの空間。たとえば、チャイハナ光が丘。
そこに、「ある」もの。「ない」もの。見えるもの、見えないもの。いまの客、過去の客、未来の客。そして、来ることのない客。聞こえる音、聞こえない音。ある香、ない香。見えない電波。明るさ、暗さ、外の世界……そんな「すべて」が情報です。
繰り返します。
「なにもかも」情報です。
世の中にあること、ないこと、すでに知られたこと、まだ知られていないこと、人の5感で感知できること、できないこと、ここに「いる」人、「いない」人、だれもまだみたことのない遠くの星、まだ検知されていないウィルス――そんなすべてが情報です。
情報は、どこにでも、限りなくある。
それが、大前提です。
posted by Yoshimura_F at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2013年05月26日

情報化社会とは?

日本とアジア 情報化社会編(3)

情報化社会は、何が新しいか?
これまでの時代と何が違うか?
私の考え――何が価値を生み出すか?
いわば<価値の根源>、あるいは<何が大切か>ということが変わった。
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狩猟採集の時代――もっとも重要だったのは、自然界にある食糧。
食べられる木の実、野草、魚や貝、虫や動物――それが、命の綱です。
農業の時代――生産力の基盤は、土地と水。
いわば「土地本位制」の時代。
国と国が土地を争う、戦争の時代でした。
産業の時代――時代の推進力は、地下に眠る化石燃料。
そのエネルギーを用いて大量に作られる、モノの時代。
経済活動の根源は、化石燃料と大規模装置、その資金。
カギは、大量消費を担う庶民(ヒツジたち)。
歴史上初めて、多数派が決定的な力を持つ。
それが、民主主義です。
では、情報化時代でもっとも大切なのは、何なのか?
情報です。
情報――それは、知識であり、経験なのですが――が、新しい価値を生み出す。
そんな時代を、いつの間にか、迎えていたわたしたち!

posted by Yoshimura_F at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集