2013年07月16日

日本のいま

日本とアジア 情報化社会編(22)
前回提示した「日本のいま」を図にしてみました。
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楯に並んだ短冊(国や企業)が、力を競う――それが、産業の時代。
短冊に属する個人が、他の短冊に属する個人と(横棒で)つながる。そして、競い、協調する――それが、情報化の時代。
その横棒が、どんどん増殖し、広がる――それが、日本のいま、そして、世界のいま。
<短冊社会>は、いわば単層林。
仲間内の「共生」が、基本原理です。
<横棒社会>は、熱帯雨林のような多様性の世界。
多様な他者との「競生」が求められます。
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2013年07月15日

日本とアジア諸国のいま

日本とアジア 情報化社会編(21)

2013年のいま――1990年代に情報化社会にはいったとして、ほぼ20年が経過しています。
日本は、どのような状況にあるでしょう?
アジア諸国は、どうでしょう?
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日本の場合――梅棹生態史観でいえば、ユーラシア大陸東端の第1地域に属する唯一の国。19世紀後半の開国から、急ピッチで、近代化、つまり、産業社会化を推し進め、20世紀後半には、「Japan as No,1」と呼ばれるほどの大成功。
鮮やかといいたいほど見事な国民国家を作り上げました。
そんな国がいま、情報社会化という課題を抱えています。
アジア諸国の場合――いろいろな民族、集団が入り乱れて、バラバラ。
国民国家が形成できず、産業社会に移行できない。
「国民(one nation)」が、存在しない――。
多数派が支配すれば、少数派は抑圧される。
少数派が支配すれば、強権が避けられない。
「近代国家」という新しい衣をまとった、農業時代そのままの王国、帝国。
そんな社会がいま、産業社会化と情報社会化を同時進行で進める――?
――日本とアジア諸国とでは、当面する課題が、まったく違います。
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2013年06月14日

産業社会から情報化社会へ――

日本とアジア 情報化社会編(20)
結局、何が変わったのでしょう?
まとめてみました。
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●情報伝達
産業社会――マスメディアが中心でした。
発信装置を独占する組織群があり、そこから発信される情報を社会が共有する。
そんな地域社会の時代でした。
情報化時代――「ウェブメディア」は、だれでも発信できます。
いろいろな人や組織が、それぞれの「短冊」を超えて、多様な情報を発信する。
「短冊」が希薄になるのは、避けられません。
●集団と個人
産業社会――短冊同士の「集団戦」
情報化社会――短冊を離れて、あるいは代表して「個人戦」
  (「個人」が、世界につながる)
● 経済
産業社会――大量生産、大量販売、大量輸送、
なんにしろ、「巨大装置」が必要です。
巨大装置、いいかえれば、大企業の時代です。
情報化社会――価値を生むのは、情報の組み合わせ、つながり
●秩序
産業社会――「エライさんが偉い」。権威。
情報化社会――エライさんがいない。説得と同意。
●求められる能力
産業社会――協調、適応(選択)
情報化社会――創造・コミュニケーション力
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2013年06月13日

こっちのエライさんが、あっちではただの人

日本とアジア 情報化社会編(19)
コミュニティ運営の原理
農業社会、産業社会はいずれも、短冊型。
基本的に「地域限定」です。
問われるのは、地域社会において、秩序をどう保つか?
比較的簡単です。
単純化していえば、「エライさんが偉い」社会。
農業の時代には、神様、あるいは王様。
産業の時代にはいると、選挙で選ばれた議員たち――彼らが「何が正しいか」を決め、その決定を、統制や処罰を通して、メンバーに強制します。
そうは問屋が許さない――それが、情報化の時代。
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地域に縛られない、世界共通のコミュニティ。
こっちのエライさんが、あっちではただの人。
あっちの強制力は、こっちでは、お邪魔虫……。
そんな混乱状態。
秩序??
体験し、学習するしかありません。
いろいろやってみる。
不都合なものは、社会的に淘汰される。
強制が不可能であれば、残る手段は、説得。
世界規模で説得する――これからの政治家に求められる能力。
そして、(つらいことに、いまのところは)共通言語は英語。
英語で説得する。
より多くの「いいね」を得た個人、考え……。
それが、「正義」です。
より多く引用される論文を評価する――学術論文の世界に似ています。
ケインズが「美人投票」と喝破した株価の世界にも似ています。
とても、いい加減。
でも、「エライさんが偉い」原理よりはマシ、多分。
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2013年06月12日

個人戦の時代

日本とアジア 情報化社会編(18)
情報化の時代は、「個人戦」の時代。
それは、「串カツ型」の世界。
各国を横に貫く「横棒集団」――。情報18.JPG
それはときに、グローバル企業や国際機関。
ときに、グローバル購入やグローバル販売といったビジネスのつながり。
ときに、ネットでつながるヴァーチャルな情報空間……。
そこにいる仲間――それはときに、ともに戦う戦友、そして、ときに、競い合う好敵手たち。
戦うのは、あなた。
あなたが、戦略をたて、戦いの舞台を探る。
そして、大切なこと――国も企業も、あてにはできない。
あなたの、孤独な戦い――。
それが、「個人戦」です。
その戦いに耐える「強い個人」。
それが、これからの時代、これからの若者たちに求められているのではないか?
もうひとつの戦いの武器。
それは――世界共通言語。
(残念ながら)英語です。
なぜ、英語を学習しなければならないか?
それが、時代を戦う武器だから。
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2013年06月11日

団体船vs個人戦

日本とアジア 情報化社会編(17)

産業社会と情報化社会――何が違うのか?
産業社会の世界イメージは、短冊型。
さまざまな短冊――国や企業、家族――が、互いに、協調し、競う。
まるで古代ギリシャのファランクス(密集歩兵集団)です。
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第1列が倒れたら、第2列が表に出る。
第2列が倒れたら、第3列が表に出る。
第3列が倒れたら、第4列が表に出る。
……
まるで、高度成長時代の日本です。
「金太郎飴」と呼ばれた、同質社会。
一致団結、組織力、統制。
同質の後衛がいくらでもいました。
産業の時代に日本がなぜ、世界の最先端に飛び出したか?
縄文・弥生、渡来人以後、他者の受け入れを免れてきた同質集団。
明治以来、必死に築いた「金太郎飴」社会。
団体戦には、圧倒的に有利でした。
いまは、違います。
情報化社会は、串カツ型。
それぞれの短冊を貫いてつくる「横棒社会」があります。
「短冊」の一員であり、同時に、「横棒社会」の一員でもある個人。
そして、「横棒社会」における戦いを任せられるのは、一人ひとり。
後衛はいない。
「短冊」の支援はあてにできない。
そんな状況のなかで、知らない他者を相手に競い、協調を探る。
それが、「横棒社会」。
それは、孤独な個人戦の世界!
だれでも、いつでも、そんな戦いの舞台を任せられる可能性を抱えてしまった。
それが、情報化時代です。
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2013年06月09日

情報化時代における「所属」

日本とアジア 情報化社会編(16)
人は、一人では生きられない。
必ず、何らかの集団に所属します。
たとえば、家族、企業、国家……。
そんな「所属」関係を図にしてみました。情報16.JPG
まず、横棒を取り外して、色違いの縦の棒しかない図を想定してみてください。
まるで、色違いの「短冊」。
それぞれの短冊は、家族、企業、国……なんでも構いません。
それを仮に「短冊型」の世界イメージと呼ぶことにします。
個人は、一義的に、どれかの短冊に「所属」しています。
短冊と短冊が協調したり、競り合ったり――それが、産業社会です。
個人は、短冊の一員。
短冊内での協調、短冊同士の競り合い――あなたは、短冊の一員です。
次に、それぞれの短冊を横につなぐ棒を付け加えてみます。
こんな横棒集団、こんな横棒コミュニティが、地球規模で新しく付加された。
グローバル企業、国際機関、学会、国際的な同好会・イベント・スポーツ……。
一時的なビジネスの付き合いの場合もあります。
グローバル経営、グローバル最適化……。
ネットのつながりの場合もあります。
職能組織、同好会、ファンクラブ……。
個人が短冊(国)だけでなく、横棒集団にも所属する。
あるいは、横棒を通して、他の短冊(国)の個人ともつながる。
それが、情報化社会。そして、国際化ということ。
それが、情報化社会における「所属」のイメージ。
長短、大小の横棒でつながれた世界。
仮に「串かつ型」世界イメージと呼ぶことにします。
短冊を国とすると、一人ひとりが、その所属する国を越えて、諸外国の個人とつながる。
ときに短冊の利益を代表し、ときに串の利益を代表する。
そして、協調し、競い合う。
短冊を通しても、横棒を通しても、一人ひとりが、それぞれに協調し、競う。
産業社会と比べると、ずっと複雑。
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2013年06月08日

消費者に求められるもの

日本とアジア 情報化社会編(15)

消費者――それが、市民です。
産業社会と情報化社会で、求められるものが違います。
どう違うか?
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★ 産業社会では…
2択、3択……供給側から、いくつかの選択肢があたえられます。
その中から、最良のものを選ぶ。
ヤマ勘も含めて、「選択」能力が大切です。
テストでいえば、○X式の選択問題。
★ 情報化社会でな¥は…
何が欲しいか?
自分で決める。
主体的な創造、それを行う能力が求められます。
そして、自らの意思を正しく伝える。
そんな情報伝達能力も必要です。
テストでいえば、論文問題。
ありきたりのことばでいえば、創造力、伝達力。
もっとシンプルにいえば、自分の意思をもつ。
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2013年06月07日

権力者はだれか?

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日本とアジア 情報化社会編(14)
産業社会と情報化社会の生産体制
産業社会と情報化社会――権力者は、だれか?
産業社会――主導権は供給側にあります。
供給側が、広範な市場調査を行い、市場が求める(と信じる)モノをつくる。
それが、規格品です。
あとは、大々的に宣伝するだけ。
必要に応じて価格を下げ、大量販売を目指します。
消費者に求められるのは、複数の生産者が提供する限られた製品の中からの「選択」!
情報化社会――主導権は、需要側。
供給側が用意するのは、確かな素材とデータベース。
あとは、顧客のオーダーに応じて、その組み合わせを作成する。
供給側に求められるのは、顧客の意思を実現する能力。
顧客には、自らの要求について、明確な意思を持つことが求められます。
主導権を持つのは、消費者。
そのように考えると、たとえば電気製品で、メーカー優位がグイグイと崩れていったことも理解できます。
川下の優位――それが、民主化なのかどうか?
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2013年06月06日

<S+D>の実例

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日本とアジア 情報化社会編(13)
注文に応じた生産。
それは、多種少量生産の世界です。
どうして可能か?
考える機械――コンピュータがやってくれます。
たとえば、塗料屋さん。
産業の時代――顧客の希望に完全に応えたい。
どれほどの倉庫が必要でしょう?
それは、無理。
だから、売れ筋のペンキを数種用意し、その中から選ばせます。
消費者からいえば、売れ筋しか手にはいらない。
情報化社会――用意するのは、白と黒、それに赤、青、黄の三原色のペンキだけ。
注文に応じて、混ぜ合せる。
コンピュータがやってくれます。
海外旅行――お仕着せのツアーはもう結構。
ネットの情報をもとに自分で組み立てる。
業者に求められるのは、正確で確かなデータバンク。
そして、顧客の希望をくみ取り、対応できる力。
焼鳥屋さんにはいったら、好みの串を自分で焼いて、好みのたれをつけて食べる――そんなかたちがありました。
「S+Dの実例を考えてほしい」――学生に尋ねました。
ぴたりの例を出してきた女子学生がいました。
「針金とカップが別売りのブラジャー」
消費者が、最終製品の「生産」に関与できる。
いいかえれば、「だれでもオーダーメイド」。
それが、情報化時代のモノやサービスの世界です。
いえ、だれでも開発できる、新時代のビジネスのヒントです。
posted by Yoshimura_F at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集