リー・クアンユー元シンガポール首相が亡くなりました。
偉大な指導者とあちこちで称賛されています。
わたしもいまの段階で、彼をおとしめたくはありません。
しかし、冷たく見る目も必要なように思います。
シンガポールの建設に、ほんとうに、あの強権を必要としたかどうか?
問われてもいいように思うのです。
シンガポールは、都市だけです。
農村がありません。
いってみれば、東京、ジャカルタ、バンコック、クアラルンプール・・・。
それぞれに繁栄を誇っています。
それらの都市と、何が違うのか?
それらの都市の市長さんたちは、どうして「偉大な指導者」といわれないのか?
歴史に「もし」は禁物と承知しながら、それでも、
あの強権抜きでも、シンガポールがもっと発展していた可能性があるだろう、と思っています。
(80年代末ですが、数年、シンガポール駐在をしていたもので、つい、書きたくなりました)
2015年03月23日
2014年11月15日
子どもの目で見た満州引き揚げ(1)
終戦の日の前日、内戦を目撃
昭和20年8月14日午後、戦況は末期にあることを知っていた母と祖母は、神妙な面持ちでラジオの放送に耳を傾けていた。
その時、窓の外でパンパンパンという銃声と怒号が突然激しく行き交うのを聞いた。
その騒ぎに驚き、二階の廊下の窓に架かるカーテンの隙間から覗き見ると、家の前の広い道路を隔てて兵隊たちが撃ち合っていた。
子供の目には、同じ顔をした兵隊たちが仲間同士で撃ち合うのが不思議に思えた。
後で知ったのだが、これは以前から反目し合う蒋介石率いる国府軍と、毛沢東率いる中国共産党軍(八露軍=パーロ)が、戦勝国としての統治権を競って撃ち合いをしたのである。
目前で兵士が倒れ、歩行中の一般人が流れ弾に当たって倒れる。そのうち、銃声が一段と激しくなり、我が家のガラス窓にも穴が空いた。俺は母に首根っこを掴まれ、引き倒されて部屋の奥に引きずりこまれた。
正に文字通りの市街戦であり、直近の距離で撃ち合うというアナログ極まる戦いである。それを、幼かった俺は見た。
子供同士が玩具の銃で撃ち合う戦争ごっこのようだったが、その跡には、確かに多くの兵士たちが横たわり動かなかった。この事件が俺たち家族の不幸への旅立ちの前触れであった。
昭和20年8月14日午後、戦況は末期にあることを知っていた母と祖母は、神妙な面持ちでラジオの放送に耳を傾けていた。
その時、窓の外でパンパンパンという銃声と怒号が突然激しく行き交うのを聞いた。
その騒ぎに驚き、二階の廊下の窓に架かるカーテンの隙間から覗き見ると、家の前の広い道路を隔てて兵隊たちが撃ち合っていた。
子供の目には、同じ顔をした兵隊たちが仲間同士で撃ち合うのが不思議に思えた。
後で知ったのだが、これは以前から反目し合う蒋介石率いる国府軍と、毛沢東率いる中国共産党軍(八露軍=パーロ)が、戦勝国としての統治権を競って撃ち合いをしたのである。
目前で兵士が倒れ、歩行中の一般人が流れ弾に当たって倒れる。そのうち、銃声が一段と激しくなり、我が家のガラス窓にも穴が空いた。俺は母に首根っこを掴まれ、引き倒されて部屋の奥に引きずりこまれた。
正に文字通りの市街戦であり、直近の距離で撃ち合うというアナログ極まる戦いである。それを、幼かった俺は見た。
子供同士が玩具の銃で撃ち合う戦争ごっこのようだったが、その跡には、確かに多くの兵士たちが横たわり動かなかった。この事件が俺たち家族の不幸への旅立ちの前触れであった。
2013年07月24日
発展途上国 日本
日本とアジア 情報化社会編(30)
最終回です。
農業の時代、産業の時代と経過して、いま迎えた情報化の時代。
地球化(グローバリゼーション)は、避けようもありません。

それは、個人がいろいろな集団の個人とつながり、競う個人戦の世界。
国や企業が、次々と戦士を繰り出して集団戦を戦った産業の時代とは全く異なる世界です。
求められるのは、一人ひとりの創造力、伝える力、主張する強さ――。
このような市民の形成という点で、日本が、いいようもなく発展途上国だということ。
振り返れば、縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を加えただけのモノカルチャー国家。
「和をもって貴しとなす」が出発点のわたしたち。
産業の時代の大成功を実現した、わたしたちの同質性への偏向。
しかし、時代は変わりました。
新しい人物像が求められています。
(完)
最終回です。
農業の時代、産業の時代と経過して、いま迎えた情報化の時代。
地球化(グローバリゼーション)は、避けようもありません。
それは、個人がいろいろな集団の個人とつながり、競う個人戦の世界。
国や企業が、次々と戦士を繰り出して集団戦を戦った産業の時代とは全く異なる世界です。
求められるのは、一人ひとりの創造力、伝える力、主張する強さ――。
このような市民の形成という点で、日本が、いいようもなく発展途上国だということ。
振り返れば、縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を加えただけのモノカルチャー国家。
「和をもって貴しとなす」が出発点のわたしたち。
産業の時代の大成功を実現した、わたしたちの同質性への偏向。
しかし、時代は変わりました。
新しい人物像が求められています。
(完)
2013年07月23日
日本型市民像
日本とアジア 情報化社会編(29)
「世界人類が平和でありますように」――そんな標識を四国の山中で見かけました。
「人類皆兄弟」と、ごく普通に思える、わたしたちのノーテンキさ!
「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼に、自らの安全と生存をかける、潔さ!?

身の回りの人々、そのまた周りの日本の人々、そのまた周りの世界の人々――みんな仲間。
そんな、わたしたちの感性。
しかし、まったく別の感性もあります。
「他者」は危険――あなたを殺すかもしれない「他者」、あなたから家族や財産を奪うかもしれない「他者」。
その存在を前提に生きる――(多分)世界標準です。
そして、「みんな仲間」のわたしたちが、異質な「他者」の存在を許容できない矛盾。
「異」を唱えることができず、「違い」に直面すると、たじろいでしまう弱さ。
そこに、(従来の)日本型市民像を見るように思います。
(この問題は前に、一度触れました。
「All-we社会とWe-they社会」
http://yseminar.sblo.jp/article/64116085.html
「世界人類が平和でありますように」――そんな標識を四国の山中で見かけました。
「人類皆兄弟」と、ごく普通に思える、わたしたちのノーテンキさ!
「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼に、自らの安全と生存をかける、潔さ!?
身の回りの人々、そのまた周りの日本の人々、そのまた周りの世界の人々――みんな仲間。
そんな、わたしたちの感性。
しかし、まったく別の感性もあります。
「他者」は危険――あなたを殺すかもしれない「他者」、あなたから家族や財産を奪うかもしれない「他者」。
その存在を前提に生きる――(多分)世界標準です。
そして、「みんな仲間」のわたしたちが、異質な「他者」の存在を許容できない矛盾。
「異」を唱えることができず、「違い」に直面すると、たじろいでしまう弱さ。
そこに、(従来の)日本型市民像を見るように思います。
(この問題は前に、一度触れました。
「All-we社会とWe-they社会」
http://yseminar.sblo.jp/article/64116085.html
2013年07月22日
日本はどうなる?
日本とアジア 情報化社会編(28)
かつて1億総中流といわれた日本。
産業の時代に世界をリードした日本。

それを実現したのは、(均質で、同じ情報・モノを共有し、従順な) 国民国家型市民。
集団戦には、圧倒的に有利でした。
その背後に、「頼れる国家」、「頼れる企業」がありました。
しかし、あたらしく迎えた情報化時代。
個人戦を戦う、(多様で、国際社会で主張できるタフな)情報社会型市民が求められます。
「国民国家型市民」から「情報社会型市民」に、わたしたちは変われるでしょうか?
個人戦の時代はまた、家、企業、クニといったもろもろの「集団」が希薄化する時代です。
産業の時代に有効だったクニの仕組み(代議民主制)が、しだいに機能しなくなっているようにもみえます。
新しい仕組みが生まれるでしょうか?
産業の時代、safety netは、家、企業、国家といった集団に任されていました。
その集団が希薄になる時代。
新しいsafety netはどこに求められるのでしょうか?
かつて1億総中流といわれた日本。
産業の時代に世界をリードした日本。
それを実現したのは、(均質で、同じ情報・モノを共有し、従順な) 国民国家型市民。
集団戦には、圧倒的に有利でした。
その背後に、「頼れる国家」、「頼れる企業」がありました。
しかし、あたらしく迎えた情報化時代。
個人戦を戦う、(多様で、国際社会で主張できるタフな)情報社会型市民が求められます。
「国民国家型市民」から「情報社会型市民」に、わたしたちは変われるでしょうか?
個人戦の時代はまた、家、企業、クニといったもろもろの「集団」が希薄化する時代です。
産業の時代に有効だったクニの仕組み(代議民主制)が、しだいに機能しなくなっているようにもみえます。
新しい仕組みが生まれるでしょうか?
産業の時代、safety netは、家、企業、国家といった集団に任されていました。
その集団が希薄になる時代。
新しいsafety netはどこに求められるのでしょうか?
2013年07月21日
アジアの選択肢
日本とアジア 情報化社会編(27)
アジアの国々のこれから――。
三つの選択肢があるように思えます。
1)まずは、現状維持
専制国家の別名は、賢人政治です。
農業時代そのままに、ヒツジと羊飼いに分断された社会。
ヒツジにパン(成長)とサーカス(対外緊張)を与え続ければ何とかなる!
羊飼いたちは、そう考えているようです。
そして、賢人統治の裏側に、汚職の蔓延があります。
2)民主化
民主主義の別名は、多数派専制。
(諸々の)少数派には悪夢です。
制御不能な暴走が懸念されます。
3) <弱い中央>による統合
ある種の、地域連合国家、アメリカ合「州」国型。
いま、地方分権で成功している国があります。
スハルト政権崩壊(1998年)後のインドネシアです。
極端な中央集権だったスハルト時代。
スハルト政権が崩壊して、かつての分離・独立運動指導者が知事や市長に。
権力も資金も大幅に地方に移りました。
すると――分離・独立運動は雲散霧消。
そして、なにより地方が活気づきました。
自分たちの運命は、自分たちで決める。
そんな感覚が広がったのです。
もっとも、皮肉にこんなことをいう人もいます。
「汚職が小規模になり、全国に拡散した」
アジアの国々のこれから――。
三つの選択肢があるように思えます。
1)まずは、現状維持
専制国家の別名は、賢人政治です。
農業時代そのままに、ヒツジと羊飼いに分断された社会。
ヒツジにパン(成長)とサーカス(対外緊張)を与え続ければ何とかなる!
羊飼いたちは、そう考えているようです。
そして、賢人統治の裏側に、汚職の蔓延があります。
2)民主化
民主主義の別名は、多数派専制。
(諸々の)少数派には悪夢です。
制御不能な暴走が懸念されます。
3) <弱い中央>による統合
ある種の、地域連合国家、アメリカ合「州」国型。
いま、地方分権で成功している国があります。
スハルト政権崩壊(1998年)後のインドネシアです。
極端な中央集権だったスハルト時代。
スハルト政権が崩壊して、かつての分離・独立運動指導者が知事や市長に。
権力も資金も大幅に地方に移りました。
すると――分離・独立運動は雲散霧消。
そして、なにより地方が活気づきました。
自分たちの運命は、自分たちで決める。
そんな感覚が広がったのです。
もっとも、皮肉にこんなことをいう人もいます。
「汚職が小規模になり、全国に拡散した」
2013年07月20日
頼れない「国」
日本とアジア 情報化社会編(26)
(農業社会型)帝国――それが、アジアの国々。
「国」と「民」が、バラバラ。
「民」が、いくつものグループに分かれてバラバラ。
頼れない国。

そのことから生まれる、「自己本位で、超国家的で、独自に主張できる」多様な市民。
そして、とても興味深いことに、それこそが、情報化社会が求める市民像です。
つまり、時代の最先端を行く市民たち!?
また、「国家が頼れない」なら、別のsafety netが求められます。
それが、同族集団、宗教グループ。
そして、それらがバラバラの根っ子にある現実。
専制国家は、なにか別のかたちに変われるでしょうか?
分断されたsafety netは、いつまでも機能し続けるものでしょうか?
(農業社会型)帝国――それが、アジアの国々。
「国」と「民」が、バラバラ。
「民」が、いくつものグループに分かれてバラバラ。
頼れない国。
そのことから生まれる、「自己本位で、超国家的で、独自に主張できる」多様な市民。
そして、とても興味深いことに、それこそが、情報化社会が求める市民像です。
つまり、時代の最先端を行く市民たち!?
また、「国家が頼れない」なら、別のsafety netが求められます。
それが、同族集団、宗教グループ。
そして、それらがバラバラの根っ子にある現実。
専制国家は、なにか別のかたちに変われるでしょうか?
分断されたsafety netは、いつまでも機能し続けるものでしょうか?
2013年07月19日
まったく違う
2013年07月18日
「バラバラ社会」の現実
日本とアジア 情報化社会編(24)
「バラバラ社会」の現実
わたしたちがアジア諸国を見て、おかしいと感じること。
「理解不能」と思うこと――汚職・強権体質、格差、お役所仕事、因習、衛生問題、etc etc.
その多くは、日本とは違う「バラバラ社会」で説明できるように思います。

「クニ」と「民」が、バラバラ。
「民」が、民族や宗教、地域(言語)でバラバラ。
そんな、バラバラ社会。
「民」にとって、他者であるクニ、「公」。
だれが信頼します? だれが頼ります?
頼れないクニ。
すると、頼るのは――おカネ、コネ。
そして、確かな仲間――結局、同族。
すると、全体はますますバラバラ。
他方、クニからみれば、他者である「民」。
そして、クニとは、公務員集団とその周辺のこと。
腐敗も強権も、必然です。
(日本も?? とはいえ、一度は産業社会を経験しました)
「バラバラ社会」の現実
わたしたちがアジア諸国を見て、おかしいと感じること。
「理解不能」と思うこと――汚職・強権体質、格差、お役所仕事、因習、衛生問題、etc etc.
その多くは、日本とは違う「バラバラ社会」で説明できるように思います。
「クニ」と「民」が、バラバラ。
「民」が、民族や宗教、地域(言語)でバラバラ。
そんな、バラバラ社会。
「民」にとって、他者であるクニ、「公」。
だれが信頼します? だれが頼ります?
頼れないクニ。
すると、頼るのは――おカネ、コネ。
そして、確かな仲間――結局、同族。
すると、全体はますますバラバラ。
他方、クニからみれば、他者である「民」。
そして、クニとは、公務員集団とその周辺のこと。
腐敗も強権も、必然です。
(日本も?? とはいえ、一度は産業社会を経験しました)
2013年07月17日
アジア諸国のいま
日本とアジア 情報化社会編(23)
いろいろな民族、宗教に分断されて、バラバラ。
国民国家が形成できず、農業時代そのままの帝国・王国システム。
ごく少数の羊飼い集団が、ヒツジたちを統治する――。
そんな国々がいま、情報化社会に向けて舵を切っています。

2つの課題があります。
ひとつ、農業時代そのままの帝国システムを、産業時代に相応しい国民国家システムに切り替える。
つまり、ヒツジと羊飼いに分断された社会を民主化し、国民国家を建設する。
そのことを通して、産業社会を実現する。
ふたつ、時代の情報化に適応する。
短冊(民族、地域、宗教)が分断を越えてつながり、さらには、国境を越えて、世界各国の人々とつながる<横棒社会>に参入する。
国民国家という地域社会を形成しながら、同時に、「脱・集団」の情報化時代に適応する。
相反する課題。
サーカスの綱渡りのような、狭い道です。
いろいろな民族、宗教に分断されて、バラバラ。
国民国家が形成できず、農業時代そのままの帝国・王国システム。
ごく少数の羊飼い集団が、ヒツジたちを統治する――。
そんな国々がいま、情報化社会に向けて舵を切っています。
2つの課題があります。
ひとつ、農業時代そのままの帝国システムを、産業時代に相応しい国民国家システムに切り替える。
つまり、ヒツジと羊飼いに分断された社会を民主化し、国民国家を建設する。
そのことを通して、産業社会を実現する。
ふたつ、時代の情報化に適応する。
短冊(民族、地域、宗教)が分断を越えてつながり、さらには、国境を越えて、世界各国の人々とつながる<横棒社会>に参入する。
国民国家という地域社会を形成しながら、同時に、「脱・集団」の情報化時代に適応する。
相反する課題。
サーカスの綱渡りのような、狭い道です。
2013年07月16日
日本のいま
2013年07月15日
日本とアジア諸国のいま
日本とアジア 情報化社会編(21)
2013年のいま――1990年代に情報化社会にはいったとして、ほぼ20年が経過しています。
日本は、どのような状況にあるでしょう?
アジア諸国は、どうでしょう?

日本の場合――梅棹生態史観でいえば、ユーラシア大陸東端の第1地域に属する唯一の国。19世紀後半の開国から、急ピッチで、近代化、つまり、産業社会化を推し進め、20世紀後半には、「Japan as No,1」と呼ばれるほどの大成功。
鮮やかといいたいほど見事な国民国家を作り上げました。
そんな国がいま、情報社会化という課題を抱えています。
アジア諸国の場合――いろいろな民族、集団が入り乱れて、バラバラ。
国民国家が形成できず、産業社会に移行できない。
「国民(one nation)」が、存在しない――。
多数派が支配すれば、少数派は抑圧される。
少数派が支配すれば、強権が避けられない。
「近代国家」という新しい衣をまとった、農業時代そのままの王国、帝国。
そんな社会がいま、産業社会化と情報社会化を同時進行で進める――?
――日本とアジア諸国とでは、当面する課題が、まったく違います。
2013年のいま――1990年代に情報化社会にはいったとして、ほぼ20年が経過しています。
日本は、どのような状況にあるでしょう?
アジア諸国は、どうでしょう?
日本の場合――梅棹生態史観でいえば、ユーラシア大陸東端の第1地域に属する唯一の国。19世紀後半の開国から、急ピッチで、近代化、つまり、産業社会化を推し進め、20世紀後半には、「Japan as No,1」と呼ばれるほどの大成功。
鮮やかといいたいほど見事な国民国家を作り上げました。
そんな国がいま、情報社会化という課題を抱えています。
アジア諸国の場合――いろいろな民族、集団が入り乱れて、バラバラ。
国民国家が形成できず、産業社会に移行できない。
「国民(one nation)」が、存在しない――。
多数派が支配すれば、少数派は抑圧される。
少数派が支配すれば、強権が避けられない。
「近代国家」という新しい衣をまとった、農業時代そのままの王国、帝国。
そんな社会がいま、産業社会化と情報社会化を同時進行で進める――?
――日本とアジア諸国とでは、当面する課題が、まったく違います。
2013年06月14日
産業社会から情報化社会へ――
日本とアジア 情報化社会編(20)
結局、何が変わったのでしょう?
まとめてみました。

●情報伝達
産業社会――マスメディアが中心でした。
発信装置を独占する組織群があり、そこから発信される情報を社会が共有する。
そんな地域社会の時代でした。
情報化時代――「ウェブメディア」は、だれでも発信できます。
いろいろな人や組織が、それぞれの「短冊」を超えて、多様な情報を発信する。
「短冊」が希薄になるのは、避けられません。
●集団と個人
産業社会――短冊同士の「集団戦」
情報化社会――短冊を離れて、あるいは代表して「個人戦」
(「個人」が、世界につながる)
● 経済
産業社会――大量生産、大量販売、大量輸送、
なんにしろ、「巨大装置」が必要です。
巨大装置、いいかえれば、大企業の時代です。
情報化社会――価値を生むのは、情報の組み合わせ、つながり
●秩序
産業社会――「エライさんが偉い」。権威。
情報化社会――エライさんがいない。説得と同意。
●求められる能力
産業社会――協調、適応(選択)
情報化社会――創造・コミュニケーション力
結局、何が変わったのでしょう?
まとめてみました。
●情報伝達
産業社会――マスメディアが中心でした。
発信装置を独占する組織群があり、そこから発信される情報を社会が共有する。
そんな地域社会の時代でした。
情報化時代――「ウェブメディア」は、だれでも発信できます。
いろいろな人や組織が、それぞれの「短冊」を超えて、多様な情報を発信する。
「短冊」が希薄になるのは、避けられません。
●集団と個人
産業社会――短冊同士の「集団戦」
情報化社会――短冊を離れて、あるいは代表して「個人戦」
(「個人」が、世界につながる)
● 経済
産業社会――大量生産、大量販売、大量輸送、
なんにしろ、「巨大装置」が必要です。
巨大装置、いいかえれば、大企業の時代です。
情報化社会――価値を生むのは、情報の組み合わせ、つながり
●秩序
産業社会――「エライさんが偉い」。権威。
情報化社会――エライさんがいない。説得と同意。
●求められる能力
産業社会――協調、適応(選択)
情報化社会――創造・コミュニケーション力
2013年06月13日
こっちのエライさんが、あっちではただの人
日本とアジア 情報化社会編(19)
コミュニティ運営の原理
農業社会、産業社会はいずれも、短冊型。
基本的に「地域限定」です。
問われるのは、地域社会において、秩序をどう保つか?
比較的簡単です。
単純化していえば、「エライさんが偉い」社会。
農業の時代には、神様、あるいは王様。
産業の時代にはいると、選挙で選ばれた議員たち――彼らが「何が正しいか」を決め、その決定を、統制や処罰を通して、メンバーに強制します。
そうは問屋が許さない――それが、情報化の時代。

地域に縛られない、世界共通のコミュニティ。
こっちのエライさんが、あっちではただの人。
あっちの強制力は、こっちでは、お邪魔虫……。
そんな混乱状態。
秩序??
体験し、学習するしかありません。
いろいろやってみる。
不都合なものは、社会的に淘汰される。
強制が不可能であれば、残る手段は、説得。
世界規模で説得する――これからの政治家に求められる能力。
そして、(つらいことに、いまのところは)共通言語は英語。
英語で説得する。
より多くの「いいね」を得た個人、考え……。
それが、「正義」です。
より多く引用される論文を評価する――学術論文の世界に似ています。
ケインズが「美人投票」と喝破した株価の世界にも似ています。
とても、いい加減。
でも、「エライさんが偉い」原理よりはマシ、多分。
コミュニティ運営の原理
農業社会、産業社会はいずれも、短冊型。
基本的に「地域限定」です。
問われるのは、地域社会において、秩序をどう保つか?
比較的簡単です。
単純化していえば、「エライさんが偉い」社会。
農業の時代には、神様、あるいは王様。
産業の時代にはいると、選挙で選ばれた議員たち――彼らが「何が正しいか」を決め、その決定を、統制や処罰を通して、メンバーに強制します。
そうは問屋が許さない――それが、情報化の時代。
地域に縛られない、世界共通のコミュニティ。
こっちのエライさんが、あっちではただの人。
あっちの強制力は、こっちでは、お邪魔虫……。
そんな混乱状態。
秩序??
体験し、学習するしかありません。
いろいろやってみる。
不都合なものは、社会的に淘汰される。
強制が不可能であれば、残る手段は、説得。
世界規模で説得する――これからの政治家に求められる能力。
そして、(つらいことに、いまのところは)共通言語は英語。
英語で説得する。
より多くの「いいね」を得た個人、考え……。
それが、「正義」です。
より多く引用される論文を評価する――学術論文の世界に似ています。
ケインズが「美人投票」と喝破した株価の世界にも似ています。
とても、いい加減。
でも、「エライさんが偉い」原理よりはマシ、多分。
2013年06月12日
個人戦の時代
日本とアジア 情報化社会編(18)
情報化の時代は、「個人戦」の時代。
それは、「串カツ型」の世界。
各国を横に貫く「横棒集団」――。
それはときに、グローバル企業や国際機関。
ときに、グローバル購入やグローバル販売といったビジネスのつながり。
ときに、ネットでつながるヴァーチャルな情報空間……。
そこにいる仲間――それはときに、ともに戦う戦友、そして、ときに、競い合う好敵手たち。
戦うのは、あなた。
あなたが、戦略をたて、戦いの舞台を探る。
そして、大切なこと――国も企業も、あてにはできない。
あなたの、孤独な戦い――。
それが、「個人戦」です。
その戦いに耐える「強い個人」。
それが、これからの時代、これからの若者たちに求められているのではないか?
もうひとつの戦いの武器。
それは――世界共通言語。
(残念ながら)英語です。
なぜ、英語を学習しなければならないか?
それが、時代を戦う武器だから。
情報化の時代は、「個人戦」の時代。
それは、「串カツ型」の世界。
各国を横に貫く「横棒集団」――。
それはときに、グローバル企業や国際機関。
ときに、グローバル購入やグローバル販売といったビジネスのつながり。
ときに、ネットでつながるヴァーチャルな情報空間……。
そこにいる仲間――それはときに、ともに戦う戦友、そして、ときに、競い合う好敵手たち。
戦うのは、あなた。
あなたが、戦略をたて、戦いの舞台を探る。
そして、大切なこと――国も企業も、あてにはできない。
あなたの、孤独な戦い――。
それが、「個人戦」です。
その戦いに耐える「強い個人」。
それが、これからの時代、これからの若者たちに求められているのではないか?
もうひとつの戦いの武器。
それは――世界共通言語。
(残念ながら)英語です。
なぜ、英語を学習しなければならないか?
それが、時代を戦う武器だから。
2013年06月11日
団体船vs個人戦
日本とアジア 情報化社会編(17)
産業社会と情報化社会――何が違うのか?
産業社会の世界イメージは、短冊型。
さまざまな短冊――国や企業、家族――が、互いに、協調し、競う。
まるで古代ギリシャのファランクス(密集歩兵集団)です。

第1列が倒れたら、第2列が表に出る。
第2列が倒れたら、第3列が表に出る。
第3列が倒れたら、第4列が表に出る。
……
まるで、高度成長時代の日本です。
「金太郎飴」と呼ばれた、同質社会。
一致団結、組織力、統制。
同質の後衛がいくらでもいました。
産業の時代に日本がなぜ、世界の最先端に飛び出したか?
縄文・弥生、渡来人以後、他者の受け入れを免れてきた同質集団。
明治以来、必死に築いた「金太郎飴」社会。
団体戦には、圧倒的に有利でした。
いまは、違います。
情報化社会は、串カツ型。
それぞれの短冊を貫いてつくる「横棒社会」があります。
「短冊」の一員であり、同時に、「横棒社会」の一員でもある個人。
そして、「横棒社会」における戦いを任せられるのは、一人ひとり。
後衛はいない。
「短冊」の支援はあてにできない。
そんな状況のなかで、知らない他者を相手に競い、協調を探る。
それが、「横棒社会」。
それは、孤独な個人戦の世界!
だれでも、いつでも、そんな戦いの舞台を任せられる可能性を抱えてしまった。
それが、情報化時代です。
産業社会と情報化社会――何が違うのか?
産業社会の世界イメージは、短冊型。
さまざまな短冊――国や企業、家族――が、互いに、協調し、競う。
まるで古代ギリシャのファランクス(密集歩兵集団)です。
第1列が倒れたら、第2列が表に出る。
第2列が倒れたら、第3列が表に出る。
第3列が倒れたら、第4列が表に出る。
……
まるで、高度成長時代の日本です。
「金太郎飴」と呼ばれた、同質社会。
一致団結、組織力、統制。
同質の後衛がいくらでもいました。
産業の時代に日本がなぜ、世界の最先端に飛び出したか?
縄文・弥生、渡来人以後、他者の受け入れを免れてきた同質集団。
明治以来、必死に築いた「金太郎飴」社会。
団体戦には、圧倒的に有利でした。
いまは、違います。
情報化社会は、串カツ型。
それぞれの短冊を貫いてつくる「横棒社会」があります。
「短冊」の一員であり、同時に、「横棒社会」の一員でもある個人。
そして、「横棒社会」における戦いを任せられるのは、一人ひとり。
後衛はいない。
「短冊」の支援はあてにできない。
そんな状況のなかで、知らない他者を相手に競い、協調を探る。
それが、「横棒社会」。
それは、孤独な個人戦の世界!
だれでも、いつでも、そんな戦いの舞台を任せられる可能性を抱えてしまった。
それが、情報化時代です。
2013年06月09日
情報化時代における「所属」
日本とアジア 情報化社会編(16)
人は、一人では生きられない。
必ず、何らかの集団に所属します。
たとえば、家族、企業、国家……。
そんな「所属」関係を図にしてみました。
まず、横棒を取り外して、色違いの縦の棒しかない図を想定してみてください。
まるで、色違いの「短冊」。
それぞれの短冊は、家族、企業、国……なんでも構いません。
それを仮に「短冊型」の世界イメージと呼ぶことにします。
個人は、一義的に、どれかの短冊に「所属」しています。
短冊と短冊が協調したり、競り合ったり――それが、産業社会です。
個人は、短冊の一員。
短冊内での協調、短冊同士の競り合い――あなたは、短冊の一員です。
次に、それぞれの短冊を横につなぐ棒を付け加えてみます。
こんな横棒集団、こんな横棒コミュニティが、地球規模で新しく付加された。
グローバル企業、国際機関、学会、国際的な同好会・イベント・スポーツ……。
一時的なビジネスの付き合いの場合もあります。
グローバル経営、グローバル最適化……。
ネットのつながりの場合もあります。
職能組織、同好会、ファンクラブ……。
個人が短冊(国)だけでなく、横棒集団にも所属する。
あるいは、横棒を通して、他の短冊(国)の個人ともつながる。
それが、情報化社会。そして、国際化ということ。
それが、情報化社会における「所属」のイメージ。
長短、大小の横棒でつながれた世界。
仮に「串かつ型」世界イメージと呼ぶことにします。
短冊を国とすると、一人ひとりが、その所属する国を越えて、諸外国の個人とつながる。
ときに短冊の利益を代表し、ときに串の利益を代表する。
そして、協調し、競い合う。
短冊を通しても、横棒を通しても、一人ひとりが、それぞれに協調し、競う。
産業社会と比べると、ずっと複雑。
人は、一人では生きられない。
必ず、何らかの集団に所属します。
たとえば、家族、企業、国家……。
そんな「所属」関係を図にしてみました。
まず、横棒を取り外して、色違いの縦の棒しかない図を想定してみてください。
まるで、色違いの「短冊」。
それぞれの短冊は、家族、企業、国……なんでも構いません。
それを仮に「短冊型」の世界イメージと呼ぶことにします。
個人は、一義的に、どれかの短冊に「所属」しています。
短冊と短冊が協調したり、競り合ったり――それが、産業社会です。
個人は、短冊の一員。
短冊内での協調、短冊同士の競り合い――あなたは、短冊の一員です。
次に、それぞれの短冊を横につなぐ棒を付け加えてみます。
こんな横棒集団、こんな横棒コミュニティが、地球規模で新しく付加された。
グローバル企業、国際機関、学会、国際的な同好会・イベント・スポーツ……。
一時的なビジネスの付き合いの場合もあります。
グローバル経営、グローバル最適化……。
ネットのつながりの場合もあります。
職能組織、同好会、ファンクラブ……。
個人が短冊(国)だけでなく、横棒集団にも所属する。
あるいは、横棒を通して、他の短冊(国)の個人ともつながる。
それが、情報化社会。そして、国際化ということ。
それが、情報化社会における「所属」のイメージ。
長短、大小の横棒でつながれた世界。
仮に「串かつ型」世界イメージと呼ぶことにします。
短冊を国とすると、一人ひとりが、その所属する国を越えて、諸外国の個人とつながる。
ときに短冊の利益を代表し、ときに串の利益を代表する。
そして、協調し、競い合う。
短冊を通しても、横棒を通しても、一人ひとりが、それぞれに協調し、競う。
産業社会と比べると、ずっと複雑。
2013年06月08日
消費者に求められるもの
2013年06月07日
権力者はだれか?
日本とアジア 情報化社会編(14)
産業社会と情報化社会の生産体制
産業社会と情報化社会――権力者は、だれか?
産業社会――主導権は供給側にあります。
供給側が、広範な市場調査を行い、市場が求める(と信じる)モノをつくる。
それが、規格品です。
あとは、大々的に宣伝するだけ。
必要に応じて価格を下げ、大量販売を目指します。
消費者に求められるのは、複数の生産者が提供する限られた製品の中からの「選択」!
情報化社会――主導権は、需要側。
供給側が用意するのは、確かな素材とデータベース。
あとは、顧客のオーダーに応じて、その組み合わせを作成する。
供給側に求められるのは、顧客の意思を実現する能力。
顧客には、自らの要求について、明確な意思を持つことが求められます。
主導権を持つのは、消費者。
そのように考えると、たとえば電気製品で、メーカー優位がグイグイと崩れていったことも理解できます。
川下の優位――それが、民主化なのかどうか?
2013年06月06日
<S+D>の実例
日本とアジア 情報化社会編(13)
注文に応じた生産。
それは、多種少量生産の世界です。
どうして可能か?
考える機械――コンピュータがやってくれます。
たとえば、塗料屋さん。
産業の時代――顧客の希望に完全に応えたい。
どれほどの倉庫が必要でしょう?
それは、無理。
だから、売れ筋のペンキを数種用意し、その中から選ばせます。
消費者からいえば、売れ筋しか手にはいらない。
情報化社会――用意するのは、白と黒、それに赤、青、黄の三原色のペンキだけ。
注文に応じて、混ぜ合せる。
コンピュータがやってくれます。
海外旅行――お仕着せのツアーはもう結構。
ネットの情報をもとに自分で組み立てる。
業者に求められるのは、正確で確かなデータバンク。
そして、顧客の希望をくみ取り、対応できる力。
焼鳥屋さんにはいったら、好みの串を自分で焼いて、好みのたれをつけて食べる――そんなかたちがありました。
「S+Dの実例を考えてほしい」――学生に尋ねました。
ぴたりの例を出してきた女子学生がいました。
「針金とカップが別売りのブラジャー」
消費者が、最終製品の「生産」に関与できる。
いいかえれば、「だれでもオーダーメイド」。
それが、情報化時代のモノやサービスの世界です。
いえ、だれでも開発できる、新時代のビジネスのヒントです。