「世界人類が平和でありますように」――そんな標識を四国の山中で見かけました。
「人類皆兄弟」と、ごく普通に思える、わたしたちのノーテンキさ!
「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼に、自らの安全と生存をかける、潔さ!?
身の回りの人々、そのまた周りの日本の人々、そのまた周りの世界の人々――みんな仲間。
そんな、わたしたちの感性。
しかし、まったく別の感性もあります。
「他者」は危険――あなたを殺すかもしれない「他者」、あなたから家族や財産を奪うかもしれない「他者」。
その存在を前提に生きる――(多分)世界標準です。
そして、「みんな仲間」のわたしたちが、異質な「他者」の存在を許容できない矛盾。
「異」を唱えることができず、「違い」に直面すると、たじろいでしまう弱さ。
そこに、(従来の)日本型市民像を見るように思います。
(この問題は前に、一度触れました。
「All-we社会とWe-they社会」
http://yseminar.sblo.jp/article/64116085.html