2013年04月16日

中越国境

試論「日本とアジア」(21)

高度差にして150mぐらい。
山を巻いて尾根まで、延々と続く人の列。
まるでアリの行列です。
1979年2月、突如、中国軍がベトナムに攻め込みます。
前年暮、ベトナム軍がカンボジアに侵攻したことに対するケ小平の「懲罰」です。
それから10年余りが過ぎた1991年11月、ようやく両国の国交正常化が決まりました。
わたしが、ベトナム側から中越国境を訪れたのおは、それから3ヶ月が過ぎた1992年2月、でした。
国境の町ランソンは、国交正常化へ向けて、あちこちで建設工事の真最中でした
それでも鉄道は、断ち切られたままでした(中国は広軌、ベトナムは狭軌、3本のレールでいずれの列車も入れるようになっています)
町を離れて、国境に向かう途中で出会ったのが「アリの行列」です。
地理21.JPG
男も女も、大きな荷物を両てんびんで担いでいました。
片方だけでも、わたしには持てないほどの重さです。
担いできた荷物は、待ち受けた小型トラックに移されます。
(貧しい)中部ベトナムからの出稼ぎが多い、と聞きました。
政府公認の密貿易。
「せめて、道路を使われればよいのに……」と思ったものです
posted by Yoshimura_F at 06:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 卒業論文集
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