2013年07月24日

発展途上国 日本

日本とアジア 情報化社会編(30)

最終回です。
農業の時代、産業の時代と経過して、いま迎えた情報化の時代。
地球化(グローバリゼーション)は、避けようもありません。
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それは、個人がいろいろな集団の個人とつながり、競う個人戦の世界。
国や企業が、次々と戦士を繰り出して集団戦を戦った産業の時代とは全く異なる世界です。
求められるのは、一人ひとりの創造力、伝える力、主張する強さ――。
このような市民の形成という点で、日本が、いいようもなく発展途上国だということ。
振り返れば、縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を加えただけのモノカルチャー国家。
「和をもって貴しとなす」が出発点のわたしたち。
産業の時代の大成功を実現した、わたしたちの同質性への偏向。
しかし、時代は変わりました。
新しい人物像が求められています。
    (完)
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2013年07月23日

日本型市民像

日本とアジア 情報化社会編(29)
「世界人類が平和でありますように」――そんな標識を四国の山中で見かけました。
「人類皆兄弟」と、ごく普通に思える、わたしたちのノーテンキさ!
「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼に、自らの安全と生存をかける、潔さ!?
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身の回りの人々、そのまた周りの日本の人々、そのまた周りの世界の人々――みんな仲間。
そんな、わたしたちの感性。
しかし、まったく別の感性もあります。
「他者」は危険――あなたを殺すかもしれない「他者」、あなたから家族や財産を奪うかもしれない「他者」。
その存在を前提に生きる――(多分)世界標準です。
そして、「みんな仲間」のわたしたちが、異質な「他者」の存在を許容できない矛盾。
「異」を唱えることができず、「違い」に直面すると、たじろいでしまう弱さ。
そこに、(従来の)日本型市民像を見るように思います。
(この問題は前に、一度触れました。
「All-we社会とWe-they社会」 
http://yseminar.sblo.jp/article/64116085.html
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2013年07月22日

日本はどうなる?

日本とアジア 情報化社会編(28)
かつて1億総中流といわれた日本。
産業の時代に世界をリードした日本。
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それを実現したのは、(均質で、同じ情報・モノを共有し、従順な) 国民国家型市民。
集団戦には、圧倒的に有利でした。
その背後に、「頼れる国家」、「頼れる企業」がありました。
しかし、あたらしく迎えた情報化時代。
個人戦を戦う、(多様で、国際社会で主張できるタフな)情報社会型市民が求められます。
「国民国家型市民」から「情報社会型市民」に、わたしたちは変われるでしょうか?
個人戦の時代はまた、家、企業、クニといったもろもろの「集団」が希薄化する時代です。
産業の時代に有効だったクニの仕組み(代議民主制)が、しだいに機能しなくなっているようにもみえます。
新しい仕組みが生まれるでしょうか?
産業の時代、safety netは、家、企業、国家といった集団に任されていました。
その集団が希薄になる時代。
新しいsafety netはどこに求められるのでしょうか?
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2013年07月21日

アジアの選択肢

日本とアジア 情報化社会編(27)

アジアの国々のこれから――。
三つの選択肢があるように思えます。情報の27.JPG
1)まずは、現状維持
 専制国家の別名は、賢人政治です。
 農業時代そのままに、ヒツジと羊飼いに分断された社会。
 ヒツジにパン(成長)とサーカス(対外緊張)を与え続ければ何とかなる!
 羊飼いたちは、そう考えているようです。
 そして、賢人統治の裏側に、汚職の蔓延があります。
2)民主化
民主主義の別名は、多数派専制。
(諸々の)少数派には悪夢です。
制御不能な暴走が懸念されます。
3) <弱い中央>による統合
ある種の、地域連合国家、アメリカ合「州」国型。
いま、地方分権で成功している国があります。
スハルト政権崩壊(1998年)後のインドネシアです。
極端な中央集権だったスハルト時代。
スハルト政権が崩壊して、かつての分離・独立運動指導者が知事や市長に。
権力も資金も大幅に地方に移りました。
すると――分離・独立運動は雲散霧消。
そして、なにより地方が活気づきました。
自分たちの運命は、自分たちで決める。
そんな感覚が広がったのです。
もっとも、皮肉にこんなことをいう人もいます。
「汚職が小規模になり、全国に拡散した」
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2013年07月20日

頼れない「国」

日本とアジア 情報化社会編(26)
(農業社会型)帝国――それが、アジアの国々。
「国」と「民」が、バラバラ。
「民」が、いくつものグループに分かれてバラバラ。
頼れない国。
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そのことから生まれる、「自己本位で、超国家的で、独自に主張できる」多様な市民。
そして、とても興味深いことに、それこそが、情報化社会が求める市民像です。
つまり、時代の最先端を行く市民たち!?
また、「国家が頼れない」なら、別のsafety netが求められます。
それが、同族集団、宗教グループ。
そして、それらがバラバラの根っ子にある現実。
専制国家は、なにか別のかたちに変われるでしょうか?
分断されたsafety netは、いつまでも機能し続けるものでしょうか?
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2013年07月19日

まったく違う

日本とアジア 情報化社会編(25)
まったく違う
アジア諸国でいま、起こっていること。
日本でいま起こっていること。
両者が、まったく違うこと。
そのことをはっきり認識する。
そうしないと、アジアに裏切り続けられるでしょう。
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縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を1000年以上にわたってこねあげてきた日本人。
国民国家をつくり、高度な産業社会を実現しました。
そんな社会がいま、情報化社会に足を踏み入れ、もがいています。
アジア諸国――。
さまざまな民族集団、いくつもの宗教集団。
「クニ」と「民」に分断され、農業時代そのままの帝国システム。
そんな国々がいま、産業化と情報化を同時進行で進めています。
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2013年07月18日

「バラバラ社会」の現実

日本とアジア 情報化社会編(24)
「バラバラ社会」の現実
わたしたちがアジア諸国を見て、おかしいと感じること。
「理解不能」と思うこと――汚職・強権体質、格差、お役所仕事、因習、衛生問題、etc etc.
その多くは、日本とは違う「バラバラ社会」で説明できるように思います。
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「クニ」と「民」が、バラバラ。
「民」が、民族や宗教、地域(言語)でバラバラ。
そんな、バラバラ社会。
「民」にとって、他者であるクニ、「公」。
だれが信頼します? だれが頼ります?
頼れないクニ。
すると、頼るのは――おカネ、コネ。
そして、確かな仲間――結局、同族。
すると、全体はますますバラバラ。
他方、クニからみれば、他者である「民」。
そして、クニとは、公務員集団とその周辺のこと。
腐敗も強権も、必然です。
(日本も?? とはいえ、一度は産業社会を経験しました)
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2013年07月17日

アジア諸国のいま

日本とアジア 情報化社会編(23)

いろいろな民族、宗教に分断されて、バラバラ。
国民国家が形成できず、農業時代そのままの帝国・王国システム。
ごく少数の羊飼い集団が、ヒツジたちを統治する――。
そんな国々がいま、情報化社会に向けて舵を切っています。
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2つの課題があります。
ひとつ、農業時代そのままの帝国システムを、産業時代に相応しい国民国家システムに切り替える。
つまり、ヒツジと羊飼いに分断された社会を民主化し、国民国家を建設する。
そのことを通して、産業社会を実現する。
ふたつ、時代の情報化に適応する。
短冊(民族、地域、宗教)が分断を越えてつながり、さらには、国境を越えて、世界各国の人々とつながる<横棒社会>に参入する。
国民国家という地域社会を形成しながら、同時に、「脱・集団」の情報化時代に適応する。
相反する課題。
サーカスの綱渡りのような、狭い道です。
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2013年07月16日

日本のいま

日本とアジア 情報化社会編(22)
前回提示した「日本のいま」を図にしてみました。
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楯に並んだ短冊(国や企業)が、力を競う――それが、産業の時代。
短冊に属する個人が、他の短冊に属する個人と(横棒で)つながる。そして、競い、協調する――それが、情報化の時代。
その横棒が、どんどん増殖し、広がる――それが、日本のいま、そして、世界のいま。
<短冊社会>は、いわば単層林。
仲間内の「共生」が、基本原理です。
<横棒社会>は、熱帯雨林のような多様性の世界。
多様な他者との「競生」が求められます。
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2013年07月15日

日本とアジア諸国のいま

日本とアジア 情報化社会編(21)

2013年のいま――1990年代に情報化社会にはいったとして、ほぼ20年が経過しています。
日本は、どのような状況にあるでしょう?
アジア諸国は、どうでしょう?
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日本の場合――梅棹生態史観でいえば、ユーラシア大陸東端の第1地域に属する唯一の国。19世紀後半の開国から、急ピッチで、近代化、つまり、産業社会化を推し進め、20世紀後半には、「Japan as No,1」と呼ばれるほどの大成功。
鮮やかといいたいほど見事な国民国家を作り上げました。
そんな国がいま、情報社会化という課題を抱えています。
アジア諸国の場合――いろいろな民族、集団が入り乱れて、バラバラ。
国民国家が形成できず、産業社会に移行できない。
「国民(one nation)」が、存在しない――。
多数派が支配すれば、少数派は抑圧される。
少数派が支配すれば、強権が避けられない。
「近代国家」という新しい衣をまとった、農業時代そのままの王国、帝国。
そんな社会がいま、産業社会化と情報社会化を同時進行で進める――?
――日本とアジア諸国とでは、当面する課題が、まったく違います。
posted by Yoshimura_F at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集