2013年05月30日

マスメディアとウェブメディア?

日本とアジア 情報化社会編(7)

産業の時代は、マスメディアの時代。
新聞、ラジオ、テレビ……どれをとっても、ある種の装置産業です。
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立派な社屋。印刷機やテレビ塔。それなりに選びとった社員集団――。
そして、独占した情報発信!
マスメディアの特色のひとつは、地域限定だということです。
新聞は、夜の間に印刷して朝には届けます。
「配達可能範囲」という、制約があります。
ラジオやテレビは、電波塔を必要とします。
その電波の到達範囲という、限界があります。
特定の装置を備えた限られた発信者が、同一の情報を、限られた地域社会に伝える――それが、マスメディア。
人々の考えをひとつにまとめる。
マスメディアは、地域社会あるいは国家(これもひとつの地域社会です)形成の核でした。
ウェブメディアは、違います。
大規模装置は、不要。
ほぼだれでも、発信できます。
地域に縛られません。
地球の裏側の人々とすら、直接、交流できます。
「だれでも発信者、だれでも受信者」――それが、ウェブメディアの世界です。
ウェブメディアで結ばれた世界は、当然、地域社会や国家とは無関係です。
新聞やテレビの退潮。
若者が新聞を読まなくなった?
テレビがおもしろくなくなった?
――いえ、もっと深い事情が、ありそうです。
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2013年05月29日

何が情報化時代を生み出したか?

日本とアジア 情報化社会編(6)

大学にはいった年、計算尺を買いました。
1960年です。
初めて電卓を買ったのは、いつだったか?
覚えていません。
ワープロを使ったのは、たしか1990年代初め。
1行か2行しか読めませんでした。
90年代中ごろには、パソコンに変わっていました。
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80年代前半、インド・ニューデリー支局が職場でした。
電話で、原稿を吹き込んでいました。
写真送稿は、ニューデリー空港で東京便の乗客を探し、フィルムを託して、羽田で投函していただくようお願いしていました。
パキスタンのペシャワルに出張したときは、電報局にいってテープに打ち込み、送信を依頼しました。
80年代末、シンガポールからはファックスで送信しました。
90年代末、インドネシアのジャカルタからはメールで送信しました。
この情報技術の進歩。
情報化時代を生み出したもの。
それが、急激に発達した、計算・通信技術であること。
だれにも異存はない、と思います。
世界中のだれでも、どんな組織でも、パソコン(個人用コンピュータ)を利用し、ネットで結ばれる時代。
それが、情報化時代です。
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2013年05月28日

情報が価値を生み出す、とは?

日本とアジア 情報化社会編(5)

狩猟採集時代――自然にある食糧(食材)を見つけてとってくる、暮し。
農業時代――農産物という価値を生み出す、適地。
産業時代――巨大エネルギーを生み出す、地下からの化石燃料。
そのエネルギーを利用する、大規模工場や大量輸送機関、その他無数の大規模「装置」。
では、情報化時代は?
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もちろん、情報が価値を生み出す。
でも、どのようにして??
どこにでもある情報、無数にある情報、知られた情報、未知の情報・・・。
その中から、いくつかを選び出して(意味に気づいて)、結びつける。
うまくゆけば、巨万の富を手にすることができるでしょう。
情報を選び、つなぐ。
新しい気づき、新しい構想。
それを求めて、個人やさまざまな組織が、世界規模で競う。
それが、情報化時代ということだろう、と思います。
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2013年05月27日

情報とは何か?

日本とアジア 情報化社会編(4)

情報とは一体、何なのでしょう?
ずばりいえば、「なにもかも」です。
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ひとつの空間。たとえば、チャイハナ光が丘。
そこに、「ある」もの。「ない」もの。見えるもの、見えないもの。いまの客、過去の客、未来の客。そして、来ることのない客。聞こえる音、聞こえない音。ある香、ない香。見えない電波。明るさ、暗さ、外の世界……そんな「すべて」が情報です。
繰り返します。
「なにもかも」情報です。
世の中にあること、ないこと、すでに知られたこと、まだ知られていないこと、人の5感で感知できること、できないこと、ここに「いる」人、「いない」人、だれもまだみたことのない遠くの星、まだ検知されていないウィルス――そんなすべてが情報です。
情報は、どこにでも、限りなくある。
それが、大前提です。
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2013年05月26日

情報化社会とは?

日本とアジア 情報化社会編(3)

情報化社会は、何が新しいか?
これまでの時代と何が違うか?
私の考え――何が価値を生み出すか?
いわば<価値の根源>、あるいは<何が大切か>ということが変わった。
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狩猟採集の時代――もっとも重要だったのは、自然界にある食糧。
食べられる木の実、野草、魚や貝、虫や動物――それが、命の綱です。
農業の時代――生産力の基盤は、土地と水。
いわば「土地本位制」の時代。
国と国が土地を争う、戦争の時代でした。
産業の時代――時代の推進力は、地下に眠る化石燃料。
そのエネルギーを用いて大量に作られる、モノの時代。
経済活動の根源は、化石燃料と大規模装置、その資金。
カギは、大量消費を担う庶民(ヒツジたち)。
歴史上初めて、多数派が決定的な力を持つ。
それが、民主主義です。
では、情報化時代でもっとも大切なのは、何なのか?
情報です。
情報――それは、知識であり、経験なのですが――が、新しい価値を生み出す。
そんな時代を、いつの間にか、迎えていたわたしたち!

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2013年05月25日

人類史の時代区分

日本とアジア 情報化社会編(2)

人類史の3つの革命――。
そこから生まれた、4つの時代。
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第1、狩猟・採集の時代――約700万年の人類史のうちの約699万年。
第2、農業の時代――約1万年前、氷河期が終わったころに始まります。
この2つの時代、最大の課題は、食料の確保。
いわば、胃袋の時代です。
第3、産業の時代――化石燃料という大規模エネルギーの利用と生産力の拡大。
いわば、筋肉の時代。
第4、情報化時代――コンピュータ、インターネット…新しい情報技術が切り開いた、新しい時代。
頭脳の時代ですね??
人類の長い歩みの果てに到達した、「いま」です。
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2013年05月24日

情報化社会を迎えて

日本とアジア 情報化社会編(1)

このブログが土台にしているのは、関西のある大学での講義です。
だから、ちょっと「硬め」なのですが、我慢して下さい。
講義の主題は、アジアの国々についての紹介。
それを、日本との比較の中で進めています。
そして、わたしがこころの奥底で意識しているテーマ――
<われわれはいま、どのような時代に生きているのか?>
これまでの地理編と歴史編で見てきたこと。
●その地理的、歴史的条件から、アジア(世界)の多くの国々と日本とは、根本的に異なる。
●産業の時代は「団体戦」の時代であり、日本は極めて有利だった。それに対して、アジアの国々は戦う体制すら築けなかった。
しかし、それは過去――いまは、御破算です。
時代は変わりました。
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これから、考えたいのは、次の2点です。
1)情報化社会とは、とのような社会か?
2)情報化社会に向けて、アジアの国々および日本の課題は何か?
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2013年05月23日

情報化社会へ向けて

日本とアジア 歴史編(26)

歴史編は今日で終わります。
次は、情報化社会編」です。
振り返ると、産業の時代は、集団戦の時代。
「同じような欲望、同じような能力、同じような考え、そして、同一の集団に属するという仲間意識」――そんな条件を備えた集団が圧倒的に有利だった時代。
一億総中流がいわれ、「(平等という点で)まるで社会主義だ」とまでいわれた日本。そして、しばしば「金太郎飴」と自嘲した日本人。
しかし、その金太郎飴こそが、あの時代の日本の繁栄の秘密だったのではないか。
倒れても、倒れても、次の兵士が出てきて戦いを続ける。
そんなファランクス(密集歩兵集団)。
しかし、情報化社会の到来。
それはまた、地球化の時代。
「地球」の重要さがグッと大きくなる。
その分、国家の地位が相対的に低下する
だれでも、よその国、よその集団の個人とつながってしまう。
そして、未知の人々や集団と競い、助け合う。
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そんな、地球規模の「競生」の時代。
それはまた、地球規模の個人戦の時代。
そんな新しい時代に、どう適応するか?
引き続き、
第3部、情報化時代を迎えて
で考えたい主題です。

そんな、地球規模の「競生」の時代。
それはまた、地球規模の個人戦の時代。
そんな新しい時代に、どう適応するか?
引き続き、
第3部、情報化時代を迎えて
で考えたい主題です。
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2013年05月22日

「産業の時代」とは?

日本とアジア 歴史編(25)

「産業の時代」の始まりは、18世紀後半。
きっかけは、イギリスで進んだ技術革新。
核心は、地下からの化石燃料の利用。
それによって、人類の利用できるエネルギー量が桁違いに増大したこと。
しかし、その成果が大量生産、大量消費というかたちで顕在化するのは、(実は)20世紀にはいってからです。
具体的には、T型フォードの発売が1908年。
そして、その終末は、「日本の躍進」がいわれた、20世紀後半。
すると、「産業の時代」とは、正味、20世紀の100年にも満たない期間ということになります。
その前半、日本が、日露戦争から第1次世界大戦、対中戦争、太平洋戦争と戦いを続けていた時期、アジアのほとんどがヨーロッパ列強の植民地か、それに近い状態でした。
そして、その後半。
それは、先進国と発展途上国に分かれた世界でした。
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民主主義を実現し、国民国家を形成した先進国。
日本でいえば、敗戦のどん底から「1億総中流」とまでいわれた経済発展を遂げた時代。
ほとんど、世界の先頭に立った、といえそうです。
同じ時期、植民地状態のどん底から、新国家建設に動きだした、アジア諸国。
しかし、産業社会に「離陸」することは、ありませんでした。
なぜ?
「バラバラ」だったから。
以前に変わらぬ独裁が継続し、「国民主権」が実現できなかったことから。
そう考えることはできないでしょうか?
「産業の時代」はまた、「団体戦」の時代でした。
「同じような能力を持ち、同じように考え、同じような欲望を持つ」多数の構成員を必要とした。
おそらくは、それこそが20世紀後半の日本や日本企業の躍進の秘密です。
そして、そのような「国民」を生み出せなかったことが、発展途上国の停滞の一因ではないでしょうか?
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2013年05月21日

汚職とアジア諸国

日本とアジア 歴史編(24)

「総汚職体制」――そんなタイトルのエッセイを書いたことがあります。
いまはない、『朝日ジャーナル』(1989、7月7日号)です。
そのころわたしは、朝日新聞社のシンガポール支局長をしていました。
ミャンマーに出張したときに書いたものです。
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当時のミャンマー。
極端なほど貧しい国でした。
石鹸や歯磨き粉も、売っていません。
社会を4つの集団に分けて考える――現地のある知識人に教えられたクニの見方です。
まず、横線を入れます。
下段で、圧倒的多数を占めるのは、地方の農民です。
「石鹸など無関係、コメさえできればよい」人たち。
もうひとつは、山間部の少数民族です。
そのころは、クニと敵対・戦闘状態でした。
上段は、都市民です。
大きい方は、その日その日を生きるのが精一杯の庶民。
最後の小さなマスは、官僚、軍人、知識人などです。
「支配のマス」ともいえます。
このマスにはいりさえすれば、たとえごくわずかだとしても、上から順送りに権力の余禄に預かることができる――それが、「総汚職体制」です。
国は貧しくとも、権力はきわめて強固で安定している――そんな風に見えました。
エッセイのなかに、こんな文章があります。
「一党独裁とは、実は、権力と役得の連鎖の仕組みなのである。それを手放したくない人々が、ピストルを腰にしている構造がある」
そして、
「こうした一党独裁の病理が、マルクスの遺産なのか、それとも大陸アジアの長い歴史の延長からくるものなのか、判断できないでいる」
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2013年05月20日

「分断のある社会」

日本とアジア 歴史編(23)
アジア諸国の場合
わたしが小学生だった昭和20年代、アジア・アフリカ諸国が相次いで独立しました。
新興国のナショナリズム――それは、小学生だったわたしですら感じた、時代の希望でした。
しかし、希望はまもなく裏切られます。
どのアジアの国も、どのアフリカの国も、発展できませんでした。
産業社会に移行できなかったのです。
殖民地からは脱却しました。
古くからの専制君主も打倒しました。
しかし、産業社会に変わることはありませんでした。
民主化も遠い夢でした。
なぜ?
いま、思います。
「分断のある社会」だったからだ、と。
だから、「国民」が形成できなかったからだ、と。
あのころ、「希望の標語」だったナショナリズム。
しかし、それは、幻想でした。
「分断のある社会」――それは、ヒツジたちがそれぞれに勝手に動き回る社会。
羊飼いが、必要になります。
軍事政権、独裁政党――新しい独裁の道。
新しい羊飼いたち!
社会の単層化が求められる「産業の時代」に、「農業の時代」そのままのヒツジと羊飼いからなる、二層社会が維持されたこと。
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第2次大戦後の多くのアジア・アフリカの国々の現実です。
それがおそらく、アジア・アフリカが、産業の時代に途上国に留まった理由です。
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2013年05月19日

支配の三角形

日本とアジア 歴史編(22)

前項に書いた産業社会の現実を図にしてみました。
繰り返すと、巨大装置となった「政・官・業」の支配の三角形。
その中核に、「公僕」となったはずの「官」がいます。
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「官」が「臣」として「民」を指揮・監督した戦前の(天皇制)国民国家そのまま?
秀才たちが集まった陸軍大学校、そして、陸軍――かつて、この国を滅ぼした責任者たち。
秀才たちが集まる東大法学部、そして、中央官庁――この国のエリート養成システムが、根本的に間違っているように思えます。
そのうえ、記者クラブ・マスコミはお役所の応援団。
合併でつぶれた金融機関の元社員から、こんな恨み節を聞きました。
「金融機関の合併は、全部、お役所(財務省)の指導です。大が中を飲む。中は小を狙う。(それぞれの金融機関が、仮に)勝手をすると、官庁から潰しがはいる」
安倍(直近)シンパを自任する、近ごろ売り出し中の政治記者の話。
「第1次安倍内閣は、公務員改革に手をつけたから(官僚たちに)つぶされた。第2次安倍内閣は、もう『代わりがない』。官僚たちがそう思っているから、必死にささえる」
(だから、つぶれない)という安倍シンパらしい話です。
「政権すら『官』次第」という、政治記者のリアルな観察。
羊飼いと番犬の逆転を許容しているような、妙な感じで聞きました。
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2013年05月18日

産業社会の建前と現実

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日本とアジア 歴史編(21)

主権者である国民が、定期的に代表(代理人)を選び、「官」を指揮・監督する――民主主義の建前です。
日本でいま、うまく機能しているでしょうか?
いえ、とんでもない――わたしには、そう見えます。
産業の時代とは、具体的には「巨大装置」の時代。
いちはやく確立された、他の追随を許さない巨大装置――それこそが、時代の実力者です。
それが、いわゆる大企業、都市銀行、大手マスコミ、電力会社――。
わたしの属したマスコミ企業についていえば、社屋、社員集団、輪転機、販売網……などを備えた、巨大<装置>でした。
そして、(業界として)情報発信を独占し、そのことによって社会的地位を得ていた――内部にいた者としての実感です。
産業の時代、実質的に社会の支配権を握ったのは、そんな<装置>集団ではないか?
そして、つい見落としそうになる、桁違いに巨大な<装置>があります。
全国に網の目のように広がる組織を操り、税という底なしの財布を握る高級官僚の一群。
一流企業に、業界団体にと「天下る」現実が、それらを圧倒するあの人たちの実力を物語っています。
彼らが主導する巨大装置集団の組み合わせ――それこそが、(わたしの考えですが)産業の時代が行き着いた「既得権益層」。
少なくとも、お役所の仕事(資金=税)が増え続けること。
それがおそらく、いまの日本の行き詰まりの原点です。
「お役所しっかり!」しかいえないとすると、マスコミも同罪です。
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2013年05月17日

民主主義という仕組み

日本とアジア 歴史編(20)

産業の時代は、豊かさの時代です。
それを支えたのは、(モノの)大量生産・大量消費。
その大量生産、大量消費に欠かせないのが、「同じような能力、同じような欲望、同じような関心、そして、同じグループに属しているという意識を持つ」集団。
つまり、均質な国民。
そして、生まれた「みんながヒツジ、だれでも羊飼い(になれる)」単層社会。
それがつまり、民主主義社会ということです。
農業の時代は、そうではありませんでした。
(神に選ばれた)帝王が国家のオーナー(主権者)です。
その帝王が、「官」を指揮・監督して、国家を運営する。
それは、ヒツジと羊飼いに分かれた、複層社会です。
産業の時代、帝王を放逐して、新しく主権者となったヒツジたち……。
新しい主権者。
主権をどう行使するか?
そこで生まれた、選挙という仕組み。
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主権者である国民が、定期的に、その代表(代理人)を選ぶ。
選ばれた代理人が、かつての帝王に代わって、「官」を指揮・監督する。
それがつまり、民主主義ということ。
「均質な国民」の存在が、このシステムが稼働するカギです。
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2013年05月16日

戦前と戦後

日本とアジア 歴史編(19)

明治日本も国民国家です。
戦後の日本も、国民国家です。
でも、それぞれに違います。
何が、違うか?
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みんながヒツジ、そのあいだに仕切りを作らない――それが、産業の時代です。
ところが……仕切りを作ったのが、明治・天皇制です。
<天皇―臣―民>という秩序。
官僚が、「臣」として民の上に位置づけられています。
戦後の日本。
主権者は、国民です。
官僚の位置づけが変わります。
戦前、官僚は天皇に仕える「臣」。「民」の上に君臨していました。
戦後、官僚は、少なくとも建前は、国民に仕える「公僕」です。
このことについて、わざわざ「少なくとも建前は」などといわなくてもすむようになること――それが戦後の民主化の指標だと、わたしは考えています。
これにはもちろん、国民の代理である政治家たちの力量が問われます。
同じぐらい、マスコミの力量も問われます。
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2013年05月15日

明治新政府の「天皇制・国民国家」戦略

日本とアジア 歴史編(18)

人々のあいだに仕切りを作り、それぞれに役割を割り振る――身分制社会は農業時代の仕組みです。
その仕切りが不都合になる――それが、産業の時代。
時代の要請として、「国民」、そして、国民国家が生まれます。
強い海流に隔てられ、孤立を保ってきた日本。
同質社会という点で、「国民」の形成には圧倒的に有利です。
その有利な条件を背景に、明治新政は西欧の国民国家へのキャッチアップを図ります。
見事といいたいほどの鮮やかさで、「国民国家」をつくり上げました。
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手段は3つ。
1) 天皇制と首都・東京
江戸時代の士農工商という身分制社会。
それを、「すべて、天皇の民」として統合した天皇制。
振り返って、見事としか、いいようがありません。もうひとつ。
東京駅、東京大学、霞が関――これまた、見事な統合の仕掛けです。
2)廃藩置県
江戸時代の人々は、いわば「藩民」。
それを、「日本国民」に変える。
廃藩置県――藩を廃し、県を置く。
中央政府による、全日本の一元支配。
強引だが、鮮やかです。
3) 戦争
戦争も、(国民国家の形成には)好都合です。
西ヨーロッパで国民国家が形成された時代――それは、各国が覇を競った戦争の時代です。
そして、明治日本。
戊辰戦争(1868~69年)、西南の役(1877年)、日清戦争(1894~95年)、日露戦争(1904~05年)と戦いを続けました。
その後も、第1次世界大戦、太平洋戦争――戦争の歴史は、同時に、日本の中央集権国家への歩みです。
そして、恐ろしいほど「日本国民」になってしまったわたしたち。
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2013年05月14日

国民国家の時代

日本とアジア 歴史編(17)

「みんながヒツジ、だれでも羊飼い」の(相当に複雑な)単層社会。
それはつまり、人々を隔てる仕切りのない社会。
いわゆる市民革命は、仕切りを順繰りに取り払ってきた努力のあとです。
その努力はいまも、民主化というかたちで進められています。
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なぜ、仕切りがあってはならないか?
大量生産・大量消費の時代、少数者相手では商売にならないからです。
貴族だけが使ってくれても、工場は動かせません。
貴族だけが乗ってくれても、列車は動かせません。
新しい時代が求めたもの――それこそが、ヒツジの群れ。
しかし、問題があります。
彼らがバラバラでは、四方八方に散らばるだけ。
ヒツジたちは、まとまらなければなりません。
そこで、国民が登場します。
同じような能力、同じような欲望、同じような関心、そして「同じグループに属している」という意識。
そんな人々の集まり。
近代化とは、つまり、国民づくり。
国語の成立、(国民の)歴史の共有、普通教育の普及、マスコミや広告の発達と巨大化……。
もうひとつ、戦争も、国民づくりには有効です。
思い出してください。
農業時代のクニは、ヒツジたちには無縁の、統治者たちのモノ――戦争で勝っても負けても、統治者たちのことです。
しかし、産業時代の国民国家は、みんなのモノ――勝ち負けは、みんなの課題です。
あなたは何者か?
問われて、国籍で答える。
クニ(国家)が、人々のアイデンティティの核になる。
それは、産業の時代のことです。

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2013年05月13日

農業社会と産業社会 何が違うか?

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日本とアジア 歴史編(16)
約1万年前に始まり、約9800年続いた農業社会。
ほぼ2世紀半前に、それを引き継いだ産業社会。
何が違うのか?
何が、変わったのか?
表にしてみました。
まず、社会の構造。
農業時代の社会は、2層構造でした。
羊飼いとヒツジたち。それは、
(乏しい)余剰を生産するものと、それを利用して(奪い取って)暮すものの2つの階層です。
そして、強権を振るい、文化を独占したのは、羊飼い集団。
この仕切りが取り払われたのが、産業時代。
だれもがヒツジ、そして、だれでも羊飼いになれる。
そんな、単層の社会です。
農業社会の情報伝達――高札です。お上が下々に伝えます。
産業社会の情報伝達――マスコミの大発達。みんなに同じ情報、みんなが同じ欲望
農業社会――家族労働、自給自足が原則
産業社会――「職場と家庭の分離」。それはまた、男と女の役割分担の発生。義務教育……

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2013年05月10日

産業社会とは?

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日本とアジア 歴史編(15)
産業社会とは、どのような社会か?
地下に眠る化石燃料の利用――それは、人類のエネルギー利用を爆発的に増やします。
その大規模エネルギーが可能した、「大量生産」、「大量輸送」。
それを支えるのは、「大量消費」です 。
では、「大量消費」は、だれが支えるか?
「民」です。
農業の時代には、ほとんど奴隷同然だった人々。
彼らが、新しい時代の主役です。
羊飼いたちを次々に放逐します。
それが、市民革命。
「みんながヒツジ、だれでも羊飼い(になれる)」の社会。
とはいえ、「みんな」が、バラバラでは困ります。時代が求めたのは――同じようなモノを欲しがり、同じようなことを考え、同じような能力を持つ、そして、同じ集団に属するという意識をもった人々。
それが、「国民」です。
そんな国民を生みだす仕組みも生まれます。
義務教育、マスコミの発達、広告業の隆盛……。
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2013年05月09日

産業革命とは何か?

日本とアジア 歴史編(14)

はなしを農業の時代から産業の時代への転換に戻します。
18世紀末後半、イギリスではじまった人類史の飛躍。
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炭鉱で使う蒸気機関の改良(ジェームス・ワット)――それが、ブレークスルーでした。
新しい動力源――石炭・石油への道が開かれます。
それまで、人類が用いた動力は、みんな、自然界に存在する「チカラ」。
たとえば、ヒトや動物(ウシ、ウマ、ラクダ、ラバ、イヌなど)の力、水力、風力……。
なかでも、決定的に重要だったのはヒト(の労力)。
だから、動物たちと同様に扱われる人々――奴隷が、必要になります。
限られた動力、わずかなアウトプット。
食糧というインプットを差し引くと、極めて限られた余剰しか残りません。
その乏しい余剰を限られた人々――羊飼いたち――が取り上げる。
そんな(いまになって考えると)残酷だった仕組みを変えたのが、産業革命です。
いまから、たった2世紀半前。
大規模な工場を建設し、モノを豊富に供給することを可能にする。
列車や汽船で、モノやヒトを大量に運ぶことを可能にする。
そんな科学・技術の発達が始まります。
そして、ここがポイント――大量生産を支えるのは、大量消費。そして、それを支えるのは、(多数の)消費者=ヒツジたち。
平安時代、牛車は、ごく少数の貴族を乗せて町を行きました。
今日、極めて多数の乗客を抜きにしては、列車の運行は不可能です。
こうして、歴史上初めて訪れたヒツジたちの時代――いや、みんながヒツジで、だれでも羊飼いになれる社会。
それが、民主主義社会。
それを生みだしたのが、産業革命です。
狩猟採取時代は、みんなが狩人の単層社会。
農業の時代は、「余剰を生産するものとその余剰によって生活するもの」のいる重層社会。
それが、産業社会になって「(複雑で厚みを増したが)再び(狩猟採取時代のような)単層社会に戻った」――今西錦司さんの見立てです。

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