試論「日本とアジア」(1)
「世界の孤児」日本
一昨年から、関西のある大学で、講義をしています。
タイトルは「アジアメディア文化論」。
3人の講師によるオムニバス講義です。
3人とも、かつてアジア報道に関わった経験があります。
そこからつけたタイトルです。
この講義でわたしが用いたパワーポイントをもとに、画像集をまとめてみたいと思います。タイトルは、試論「日本とアジア」。
来年度の講義の準備という意味もあります。
わたしが初めてアジアを体験したのは、1964年秋から65年春にかけてです。
大学4回生のときでした。
フランス郵船の貨客船で、サイゴン(ホーチミン)経由、シンガポールで上陸しました。
マレーシアのケダ州で少数民族のペグミート族の村で住み込み調査をした後、ペナンからマドラス(チェンナイ)に渡り、インド、ネパール各地を回りました。
ほとんどがヒッチハイク、宿泊はシーク寺院や駅舎といった、かなり過激な貧乏旅行でしたが、それでもデカン高原奥地のマリア族の村で、やはり住み込み調査をしました。
帰途は、タイ、カンdボジアを回り、ベトナムのサイゴンから神戸に戻りました。
その後、わたしは新聞社に入社し、1970年代にジャカルタのインドネシア国立大学に語学留学、1980年代から90年代にかけて、ニューデリー、シンガポール、ジャカルタ各特派員として、南アジア、東南アジア一帯をカバーしました。
2000年代にはいると、さいわいとしかいいようがないのですが、龍谷大学国際文化学部で教えることになりました。
アジアについての科目も、担当しました。
人生の相当部分を、いわば、アジアを肌身に感じて過ごしてきた、といえると思います。
そうした個人的なアジア体験を通して、いま、はっきりと思うことがあります。
「アジアを考えることは、日本を考えること」
そして、
「日本は、アジアの国々と比較すると、ひどく変わった国だ」
「変わった」というのは、「異質」あるいは「特異」という意味です。
その点で、日本は「アジアの孤児」です。
アジアの広がりを考えるなら、それはつまり、「日本は世界の孤児」だ、ということです。
友だちの欲しい私たち。
「世界の孤児」などとは、考えたくもありません。
しかし、それが逃れようもない現実であるように、わたしには思えます。
なぜ、日本は「世界の孤児」か?
幸か不幸か、瀬田国民学校が春休みにはいりました。
その空閑を利用させて頂いて、これからしばらく、「さきほど若者気質」のコーナーで、その理由を考えてみたいと考えます。
posted by Yoshimura_F at 00:47|
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