2013年01月31日

『老学(おいがく)入門』その31

いま新生児は105万人(2011年)。
でも、昭和22年から24年にかけては、年に200万人から250万人。3年間で700万人です。
雑誌、音楽、映画、ファッション…戦後日本の流行は、この世代が年齢を加えて行くのに対応して変化して来ています。
高度成長も、この世代の需要に負っています。
それは、希望の世代。自由、平等、独立・・・。
一列に並んで、よーいドン!
待っていたのは、競争・選別。
小学校、中学校、高校、大学――そして、実社会。
都会に出て、集合住宅に住み、それぞれに核家族を形成する。
親からも地域からも「独立」した核家族。
「家族優先、他からの干渉を拒み、他への不干渉」
そして、
「自己の領域を明確に主張し、他との協調には己の認知可能な範囲での妥協、旧来からの『縁・柵・結』などからの離脱、脱皮、排他などによって、自己の守備範囲を堅固にしよううとする」傾向。
いいかえれば、「自己・中」――それが、川上さんの見る「団塊世代のいま」です。
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2013年01月30日

川上正夫『老学(おいがく)入門』その30

各世代を振り返っておきましょう。
明治・大正世代――。
『生住異滅の移り変わる実の大事は、猛き河のみなぎり流るるが如し。しばしも、滞らず、直ちに行ひゆくものなり』(徒然草 第155段)
(生住異滅=生が生じとどまり、変化し、滅する=が変転する人生で、真に大事なことは、ちょうど水勢烈しい川が張り流れるものである。しばらくの間も停滞することなく、生住異滅を遂行してゆくものなのだ)
――日清、日露の戦勝で意気揚々としていた幼時。
しかし、大正、昭和と続く時勢の変転には疑問を持っています。
でも、それは心底に封印して過ごした過去を持つ。
それが、「懐古老人層」です。
次が、国民学校プラスα世代。
軍国の時代から平和の時代に。忠孝の教育から民主主義の教育に――幼少期に、敗戦という大きな節目を経験しました。
それが、「無碍老人層」です。
「範として学ぶ事例もなく、示唆される指針もない。あたかも羅針盤を装着しない帆船が、大海を世情の風速に翻弄され、漂うが如き流浪の生き様」
次の、戦後生まれの新年寄、「独我老人層」(団塊世代)は次回。
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2013年01月29日

『老学(おいがく)入門』その29


「独我老人層」(団塊世代)の青春は、学生運動の時代でした。
安田講堂、新宿西口フォーク集会、あさま山荘事件・・。
「思いつく限りの新派な言語を脈絡なくつなぎ合わせ・・・群れのなかに身を置くことで、居場所を確認できると信じ、孤立、孤独を恐れた」活動家たち。
彼らの多くは、時期が来ると、企業や行政などにはいてしまう変わり身の早さも備えていました。
しかし、大多数は、それほど器用ではありません。
運動を傍観した過去。就職しても、「競合と選別」の社会は、幼少期に教えられた個の尊重、自由な思考などとは異質です。
常に、なかば醒めた傍観者。
拘束、責任は耐えられません。
「独我」は習い性です。
『風も吹きあへず、うつろふ人の心の花になれにし、年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、なき人の別れおりもまさりて哀しきものなれ』(徒然草 第26段)
(風が吹くか吹かないかのうちに散る花のように、変わりやすい人の心の、そのはなやかな情熱になれ親しんだ過ぎし年月のことを思い起こせば、しみじみと感じ深いと聞いた言葉の一つひとつを忘れないといものの、自分の世界・生活圏からまったく離れたものとなってゆくという世のならわし(習慣)こそ、死別以上に悲しいものだ)
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2013年01月28日

『老学(おいがく)入門』その28


「無碍老人層」に続くのは、戦後生まれの団塊世代。
「独我老人層」「自在趣向的老人」――川上さんの命名です。
「群れず」「同せず」「得て勝手」――いま「老い人」に仲間入りしてきた、新人種。
戦時、そして敗戦後と、節約、節制を強いられ、個人的な欲望を禁欲した親たち。
その禁じられた欲望を託された世代です。
生活は苦しくても、親たちは我が子に対しては寛容でした。
折りから、大学の大増設――。
高学歴とそれに伴う中流――親たちが子どもに託した願いでした。
そして、高度成長――物質的欲望は次々に実現します。
しかし、「みんな中流」社会は、一皮むけば「競合と選別」の場でした。
能力、効率、実績、成果……毎日、比較、選別されています。
「集い、群れて」も、「安堵」はありません。
疑心暗鬼、不信、自己逃避、自己嫌悪・・・。
――ひとつ上の世代から見た、団塊世代の実像です。
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2013年01月27日

川上正夫『老学(おいがく)入門』その27

敗戦にともなう学校教育の大転換――「忠孝の教育から民主主義の教育へ」。それは、「集団主義の教育から個人主義の教育へ」ということでした。
一方、親たちの戦後は苛烈です。
「国外に屍をさらし、生きるために銃火を放ち、虫けらのごときに日々その刻を生き延びるために彷徨い、<弱肉強食の獣><守銭奴の餓鬼>のようになってしまった」
それもこれも、「生きるため、子どもや家族を守るため」でした。
そんな親たちを見、従ってきた「無碍世代」。自己抑制から抜けられません。
「木偶の振りをしながら醒めた眼で見るべきものを直視して、不気味なまでに冷静な……」という自己分析です。
『秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず』(世阿弥 「風姿花伝」)
『況んや 及ばざることを待ち、かなわぬことを愁い、人に懼れ、ひとに媚びるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心にひかれて自ら身を恥辱しむるなり』(徒然草 第134段)
(とうていできないことを望み、成し遂げる見込みのないことを、なんとか成し遂げたいと嘆き訴え、来もしないことを、もしかして来るかもしれないと待ち、人の機嫌をおそれ、人にへつらうのは、他人が与える恥ではなくて、世俗の欲を貪る心に惹かれて、自分自身を辱めるのである)
『「此の世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ悔しき』といひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ』(徒然草 第20段)
(「この世に何の身を束縛するものを持っていない身にとって、ただ自然の風物が身に残す余情だけが執着のたねだ」ということこそ、本当に、まさにそう感じらそうなことだ)
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2013年01月26日

『老学(おいがく)入門』その26

『生きながら死人となりてなり果てて、思うが儘にするわざぞよき』(至道無難禅師)
「無碍老人層」――終戦のとき、8~9歳から16~17歳だった人たちです。
すさまじいほどの欠乏を経験し、「己を生かし、家族を賄う」親たちの苦労を直接目にしています。新教育で「個の独立」をいわれても、親や周囲に配慮し、気づかいする姿勢は崩せません。
見方によっては、意志薄弱、日和見的、中途半端とも取られかねない生き方。
『わが心、深き底あり、喜びも憂いの波も、届かじと思う』(西田幾太郎)
『白球は、人に知られず、知らずともよし 知らずとも、われし知れらば、知らずともよし』(万葉集巻6の1018)
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2013年01月25日

『老学(おいがく)入門』その25

「戦後に思春期を迎え、心惑わせ、胸高鳴りてときめかせるも、戦前、戦中から親や近隣周囲に気遣い、足枷をはめられたがごときにありて、思慕すれど美辞麗句の表現することも適わず、口籠りて思いのごとく行動も伴わず、男女席を同じとせず、恋慕の心情を吐露すること適わずして打ちひしがれ、心中に鬱積して発露に困惑し、混沌とさせられていた」
――それが、「無碍老人層」だ、川上さんは書いています。
教え込まれ、身についてきた「支柱」の喪失――。
「自己の存在を喪失し、存在否定の錯覚さえ生じさせた」
――繰り返しになりますが、わたしのちょっと前の世代の人々のことです。
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2013年01月24日

『老学(おいがく)入門』その24


「無碍老人層」――ほぼ1930年代生まれ。国民学校の経験者プラスちょっと年上。
『真実の悲しみに遭うと人は、言葉で表わす術を知らない。そして、動作で表わすこともできないのだ』(ロシア イサドラ・ダンカン『我が生涯』)
敗戦とは?
天皇の神格化否定、家督制度を基盤とする家族制度の廃止、戸主の廃止、直系の親の扶養義務排除、夫婦および男女間の平等、教育基本法・学校教育法の新制度、堂々基準法……
そして、新憲法の制定。
そこに、朝鮮戦争(1950年)の「特需景気」と経済再建――変転の世代経験です。
『……人の身に止むことをえずして営む所、第一に食う物、第二に着る者、第三に居る所なり』(徒然草 第123段)
川上さんは記しています。
「無碍老人層は、いじらしいほどに自己抑制し、生きることに懸命でした」
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2013年01月23日

夏休みを挟んで

『老学(おいがく)入門』その23
終戦を国民学校で迎えた生徒たち。
夏休みの1日――終戦の詔勅を聞きます。
そして、2学期。
先生たちが大変わりをしていました。
「生徒による自主性を求めた学習、生徒間での協調、協和を図り、……協議と自主性を尊重させた学習指導」
夏休み前まで「集団(連帯)思考、修身教育、滅私奉公……統一的、強制的な指導」をしていた、同じ先生たちです。
何が信頼できるでしょう?
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2013年01月22日

『老学(おいがく)入門』その22

1930年代生まれ――わたしよりほんの少し上の世代です。
そのいまである『無碍老人層』
幼少期、青春期を戦時に過ごし、終戦で価値感の大転換を経験しました。
「これまでに受容させられ、己が生き様の糧と信じていた理念や信条が喪失し、心根の支柱が霧散したことで、己自身の存在さえも否定する思考が生じてきた」
「戦時対応という狭義の急流から……敗戦という広洋とした淀みの瀬に浮かばされて、個々人として、生き様を凌げと放置されたのでした」
国民的信条としてなじんできた家族制度、家父長制、連帯を重視する<絆>意識――敗戦とともに全否定され、代わりにはいってきたのは、自由主義、個人主義、利己主義、競争的意識……
「この『無碍老人』たちの昭和期・平成期の生き様には、なぜか悲哀が感じられるのです」と書いています。
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2013年01月21日

川上正夫(おいがく)入門』その21

「無碍老人層」――8歳ごろから17歳ごろにかけて敗戦を迎えた人々です。
いまでいえば、75歳から85歳ぐらい。
若き日々、戦時・戦後の時勢に翻弄されました。
戦時にはめられた軍国主義の枷――だた、時流に同調し、奮起しました。
そして、敗戦――何もかもひっくり返りました。
自信喪失、自暴自棄……心理的混迷。
そこにあたえられた新しい指針――民主主義、自由主義、個人主義。
分かったのは、変わったということ。
「間違い」を信じ込まされていたらしい、ということ。
残るのは、個人の我欲――。
行き着くのが「無碍」です。
いま、「老いの期に至りて、心癒す場を忘却し、余命の有り様に混迷し、己の生涯を通じた様相に己が壁岩に穏座して、苦悶を続ける拙態を露呈することになるのです」
引用が二つあります。
『世にしたがへば、身くるし。したがはねば狂せるに似たり。いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき』(方丈記)
『生きながら死人となりてなり果てて、思うが儘にする業ぞよき』(至道無難禅師)
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2013年01月20日

無碍老人層

『老学(おいがく)入門』その20
1930年代生まれ。
幼少期に見た、「家」のために懸命に頑張る親たち。
誕生から10代にかけては、過酷な時代でした。
凶作、飢饉、世界恐慌と重なり、その延長に、太平洋戦争の戦火、そして、あの敗戦。
何もかもひっくり返りました。
「無碍老人層」――それが、川上さんの命名です。
無碍――「妨げのないこと。何ものにもとらわれないこと。また、そのさま」と辞書にあります。
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2013年01月19日

無碍老人層

『老学(おいがく)入門』その19
世代論にはいります。
まず、明治・大正期生まれ。
いまは、80歳代後半以降の人々です。
――強烈な気骨、強固な意志、大勢大局からの判断、私利私欲に拘ることをよしとしない無欲な老い人たち――
「回顧老人層」と一括されています。
次いで、1930年代生まれ。
「無碍老人層」と命名されています。
あの戦時にあって、本来「美徳」である、「謙譲心・扶助・互助心」などが、国体の強化などにゆがめられ、思想統制の道具として使われた現実。自由を殺され、たがをはめられたような日常。
自己を殺すことを強制された傀儡の暮らし。
でも、繰り返されると、ある種の「刷り込み」にもなっています。
そこに訪れた敗戦。
大人たちは、呆然としながらも、自活をはじめます。
それを横目に見ながら、(当時の)若者たちがまず必要としたのは、自己修正です。
自分で決める。「個」が大切だ――それが、この人たちの行き着いた結論です。
「無碍」に行きつきます。
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2013年01月18日

『老学(おいがく)入門』その18

こんな「老い」も、紹介されています。
大徳寺山門に自らの木像を置いた千利休。秀吉の命令で、壮絶な切腹を果たしました(69歳)
若いころ三代将軍足利義満に寵愛された世阿弥。4代義持、6代義教にいとまれ、71歳で佐渡に流され、80歳で大和・越智の庄で逝去しました。
『住み果てぬ世に、醜き姿を持ちえて何かせん。命長ければ恥多し、長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやす(無難)かるべし』(徒然草 第7段)
そう書いた兼好法師が逝去したのは、70歳のとき。場所は、伊賀・国見山麓でした。
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2013年01月17日

川上正夫『老学(おいがく)入門』その17

「老い人の死生観」――
『嗟(さ)する勿れ旧歳の別れを去れ去れ、回顧する勿れ君に老いと衰を還さん』(中国・蘇軾)
(行く歳よ、振り返らず、さっさと去れ、私の老いと衰を返すから持ち帰れ)
『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候』(良寛禅師)
『徒ら(いたずら)に百歳生けらんは恨むべき日月なり』(道元禅師)
『何ごとも夢まぼろしと思い知る身に憂ひもよろこびもなし』(足利8代将軍義政)
――13~16歳で元服し、50歳で老体とみなされ、60歳で俗世を離れ、仏門に帰依することが当然とみなされていた時代、西方浄土への救済が終局の願いとされていた時代――
『憂きことも嬉しき折も過ぎぬれば、ただ明け暮れの夢ばかりみる』(尾形乾山)
逆に、こんな「粘り」もあります。
『いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』(孔子「論語」)
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2013年01月16日

川上正夫『老学(おいがく)入門』その16

「老い人の律儀」も取り上げられています。
例示のひとつが、深澤七郎『楢山節考』。
老女おりんが、食糧不足に悩まされる村のおきてに従って、楢山にはいってゆく。
村という集団の存続のために、自らの命を絶つ。
川上さんは「古(いにしえ)世代の老い人たちに問います。
「己を滅し他情に粛々と殉ずるは、如何なる律儀の魂胆となる也」
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2013年01月15日

『老学(おいがく)入門』その15

『一切のもの、虚しくならずということあるべからず。虚しくなるを本分のところへ、かえるというなり』(一休禅師)
『年の世末に、急がされ重ねし歳あれど、八重に加えし老いのおもさを』(正風)
『冷ニ耐エ、苦ニ耐エ、煩二耐エ、閑ニ耐エ、激セズ、躁ガズ、競ワズ、以テ、大事ヲ成スベシ』(幕末の儒家・佐藤一斉)
――最後の一文の解釈はこうです。
「他力に付随して歩むことのない自尊心を啓発させる」
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2013年01月14日

『老学(おいがく)入門』その14

「家族制度と老い人」の関係が分析されています。
戦前と戦後と――戦前の教育は、ひとことでいえば「忠孝の教育」。
志向したのは「家」や「国家」でした。
一人ひとりは、家や国家のために存在する――と。
「脱・戦前」を課題とした戦後の民主主義教育。
志向したのは、「個」です。
一人ひとりのために、家や国家は存在する――と。
そして、いま――
社会は解体し、老人も若者も(居場所がないまま)孤立を深めている。
――そんな分析です。
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2013年01月13日

『老学(おいがく)入門』その13

ショーペンハウアーが紹介されています。
はなはだ論理的です。
『@時間や空間は無限なのに、人間は幽玄の「生」しか与えられていない
A「現在」は、一刻も止まることがない
Bすべてのものが相対的である
C願望は限りなく、満足することはない
Dあらゆる努力は絶えず阻害され、その障害を取り除くことだけが人生の中身となっている』
――だから、人生は空しい、「幸福」は結局は幻滅で終わる。人生は生きるに値しない。
――理路整然と虚無を説く。ドイツ人ですか?
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2013年01月12日

耄碌(もうろく)と称して……

『老学(おいがく)入門』その12
さて、ボケるということ。
『蒙碌(もうろく)と称して世事の煩いを、避けて浮世の夢に微睡む(まどろむ)』(浮世床)
――いいですねぇ。
『皺が寄る 黒子(ほくろ・しみ)がでる 腰が曲がる 頭が禿げる 髭が白くなる。
 手は振る 足はよろける 歯は抜ける 耳は聞こえず 目は疎くなる。
身に添うは頭巾襟巻き たんばおんじゃく(湯たんぽ) 尿瓶孫の手。
聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心は曲がる 欲深くなる。
くどくなる 気短になる 愚痴になる。 出しゃばりたがる 世話焼きたがる。
またしても同じ話に 子をほめる 達者自慢に 人はいやがる』(『老人六歌仙』 仙崖和尚)
――いやはや、並べたものです。
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