名物裂と日本の伝統文化(46)
感想
2006年の夏のことである。
父に「おじいちゃんの事典作りを手伝ってくれへんか?」と言われた。
それが、『名物裂』を知るきっかけであった。
祖父は10年程前から『名物裂事典』制作を一人で行っていた。
あまりに膨大な情報量とパソコン作業が増えることから、父と祖父の職場の方とで手伝うことになった。
最初は簡単な手伝いのはずだった。
私自身、『名物裂』についてそれほどの興味もなかった。
私は、主にパソコンの編集をしたが、今までほとんど触れたことがない世界である。『名物裂』に関しての、専門的な知識や、旧漢字を読めるようになるまで苦労した。
しかし、真剣に取り組む中で、祖父の仕事の偉大さを強く感じた。
祖父の辞典作りを手伝う作業は、多くの裂の魅力を私に伝えてくれた。手伝う中で、私は次第に真剣になった。
徐々に慣れてゆくなかで、『名物裂』にはまだ解明されていないことが多いことに気づいた。それが事典を作るうえでどれだけ重大なことか初めて気づいた。
私は、事典を出版することの大変さを実感したのである。そのころは、事典が本当に完成するとはとうてい思えなかった。
それでも、祖父の『名物裂事典』は完成した。
卒論で『名物裂』を取り上げることを決めたのは、祖父の今までの研究や仕事に対して偉大さを感じたことが大きいと思う。
卒論制作中に、父の友人であるスイスの方が、金閣寺でお茶をされるということで招待して頂いた。
お茶の世界は高貴な場所で、日本の礼儀や作法の原点がここにあるように思った。
お茶は、日本を代表する伝統文化である。
茶室から茶器に至るまで、素晴らしい伝統文化が集まり、それらを実際に使って頂くお茶には不思議な力がある。
日本の伝統文化を、緊張しながら楽しむことができる場所だと思う。
『名物裂事典』制作に参加できたことや、金閣寺という素晴らしい場で、お茶を体験出来たことは、私の財産になると思う。
参考文献リスト
1) 鈴木 一 2007年5月18日発行 『名物裂事典』 平和写真印刷株式会社
2) 『名物裂 渡来織物への憧れ』 五島美術館
3) 小堀 宗慶 『文龍 名物裂鑑金銀欄』 昭和61年1月14日発行 婦女界出版社
4) 長崎 巌 『茶の湯の裂地』 平成19年2月20日発行 大日本印刷株式会社
2012年03月24日
2012年03月23日
まとめ
名物裂と日本の伝統文化(45)
\ まとめ
『名物裂』の歴史的背景は茶の湯だけの世界にとどまらず日本の文化に大きな影響力を持っていた。そしてそれは現代もまったく衰えていない。
名称の生まれた過程では人、場所、茶器道具、文様、伝承など様々のものと関わりを持っていた。
また同じ裂なのに時代によって違う名前が生まれた裂もあった。
このことが、私の祖父をはじめ多くの『名物裂』の研究者が、悩まされている大きな理由だと思う。
『名物裂』の価値は、思っている以上に高価なものであった。
見た目や、デザインばかりを見ていたが、価値を決めるのは、見た目や、デザインだけではなく、『名物裂』を製作する為に、様々な高度技術が使われており、またその裂と歴史的人物との関わりによるものが折り重なり、『名物裂』の価値を形成していくことが分かった。
\ まとめ
『名物裂』の歴史的背景は茶の湯だけの世界にとどまらず日本の文化に大きな影響力を持っていた。そしてそれは現代もまったく衰えていない。
名称の生まれた過程では人、場所、茶器道具、文様、伝承など様々のものと関わりを持っていた。
また同じ裂なのに時代によって違う名前が生まれた裂もあった。
このことが、私の祖父をはじめ多くの『名物裂』の研究者が、悩まされている大きな理由だと思う。
『名物裂』の価値は、思っている以上に高価なものであった。
見た目や、デザインばかりを見ていたが、価値を決めるのは、見た目や、デザインだけではなく、『名物裂』を製作する為に、様々な高度技術が使われており、またその裂と歴史的人物との関わりによるものが折り重なり、『名物裂』の価値を形成していくことが分かった。