2011年11月30日

10)「参政権」に、国民であること以外に条件はない

「ツケを未来に回す」仕組み(10)

「人権」に、人間であること以外に条件はない。
「参政権」に、国民であること以外に条件はない。

「基本的な権利」に条件をつけてはいけない。
それが、基本です。
植物人間だから、認知症だから、背が高いから、低いから、学校の成績が良いから、悪いから、障害があるから、ないから、高い税金を払っているから、払っていないから、兵隊になれるから、なれないから……そんなことは、基本的人権とは、まったく関係ないことです。

いろんな人がいて、それぞれに権利を行使する(行使できない人もいます)。
「いろんな」というところが重要です。
多様な意見が出され、多数決でひとつの考えに集約される。
それが、民主主義です。

では、「いろんな考え」のなかに、未成年者の考えは含まれないのでしょうか?
もちろん、いまの仕組みでは含まれません。

それでよいのか?
大人たちは、子どもたちを(保護するふりをしながら、実は)、社会から排除しているのではないか?
そんな疑問があります。
       (つづく)
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2011年11月29日

9)「君たちが、欲しがらない!」

「ツケを未来に回す」仕組み(9)

子どもに参政権があたえられないほんとうの理由。
それは、ひとつだけ。
「大人にとって邪魔になる」
大人たちは、その特権的な地位に君たちが参入してくることを恐れています。

しかし、それだけでしょうか?
もうひとつの理由が、浮かんできます。
「君たちが、欲しがらない!」

「自分たちは、半人前だ。十分に成熟していない。だから、大人と同じ権利は持てない」
そう、君たち自身が、考えていないでしょうか?
実をいうと、いま大人であるわたしたちも、まだ子どもだったころ、そのように考えました。
「まだ、子どもだから……」

しかし、大人になったいま思うと、その考えは間違っていました。
たしかに、優れた人格、知能、能力をもつ大人はたくさんいます。
しかし、同時に、いろいろな理由から、君たちほどの能力をもてないでいる大人も、いくらでもいます。

それは、仕方のない、認めなければならないことです。
そして、だからといって、基本的人権を認められない、ということはありません。
人権とは、個人の「能力」によって、持てたり持てなかったりするものではない。
そう考えてよいように思います。
       (つづく)
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2011年11月28日

8)ほんとうの理由

「ツケを未来に回す」仕組み(8)

「おまえたちのことは、お父さん(お母さん)がちゃんと考えているから……」
それが、親たちの常套句でした。
たいてい、こう続きます。
「だから、いい子でいなさい」
「だから、いうことを聞きなさい」

この常套句が、とんでもないウソだったこと。
そのことを分からせたのが、福島第1原発の事故でした。
しっかり勉強して最高学府を出たお役人、知能優れた原子力科学者、そして、時代を指導する政治家たち――いわば、この国の最高レベルの大人たち。
彼らが集まって、廃棄物の処理の仕方も分からないままに、原子力発電所の建設を進めていました。
なんにも分かっていないのに、「当面、大丈夫だ」といいました。
事故があると、「想定外」とうそぶきました。
君たちの迷惑、君たちの災難のことなど、はなから考えに入っていなかったのです。

君たちに参政権が与えられない、ほんとうの理由。
わたしの考えでは、それは、ひとつだけです。
「君たちの意見をきいていたら、大人の勝手ができなくなる。それは、都合が悪い!」

既得権者が、新参者を排除する。
あらゆる社会で、ごく普通に見られることです。
            (つづく)
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2011年11月27日

7)ことばを封じられた子どもたち

「ツケを未来に回す」仕組み(7)

いま、わたしたちの周りにいる子どもたち。
(まだ生まれていない)その子どもたち、さらにその子どもたち……と続く、いわば「未来の尖兵」とでもいうべき存在です。

彼らは、すでに生まれ、命ある存在です。
彼らが、「人間世界」の一員であることを否定する人はいないでしょう。

しかし、彼らは、「一人前」とは認められていません。
選挙で投票することは認められず、
自らの運命を決めることになる決定に、参加できません。

理由は山ほど考えられます。
「人間として未熟である」 「自立した政治的判断ができない」 「(政治は)勉学の邪魔になる」 「税金をはらっていない」 「少年法などで特別に保護されている」 「(国防のための)兵士となることができない」 ・・・

たしかなことは、そのいずれをとっても、該当する大人がいることです。
大人であれば、「人間として未熟でも」 「自立した政治的判断ができなくても」 「勉学途上であっても」 「税金をはらっていなくても」 「さまざまな法で特別に保護されていても」 「(国防のための)兵士となることができなくても」……、選挙で投票できるし、選挙で立候補して議員や市長、知事などになることができます。

こうした、選挙に投票したり、立候補したりする権利のことを、参政権といいます。
それは、自分の運命を決める決定に参加する権利、ともいえます。

その参政権が、未成年者である子どもたちには認められていません。
こんな不平等があってよいのでしょうか?
「子どもだって、人間だ!」
「子どもだって、自分の運命を考え、その決定に参加する権利がある!」
――そう主張することは、間違っているのでしょうか?
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2011年11月26日

6)「未来は、沈黙している」

「ツケを未来に回す」仕組み(6)


未来に犠牲をつけまわしする現代文明。
未来こそが、そのつけ回しのできる、残された(多分)唯一の外部世界です。
しかし、もっと重要な点が指摘できます。

「未来は、沈黙している」
いえ、
「未来は、抵抗しない」
未来は、いいようもなく、組みしやすい相手です。
これ以上ない弱者だともいえます。

考えてもみてください。
まだ生まれていない「未来の子ども」は、「イエス」も「ノ―」もいえません。
「放射能は嫌だ」
「オレたちが稼ぐおカネを使うな」
そんなことを思うことも、いうことも、できません。

では、「未来の大人」である「いまの子ども」たちの場合は、どうでしょう?
       (つづく)
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2011年11月25日

5)外部世界としての未来

「ツケを未来に回す」仕組み(5)

なぜ、現代文明は被害を未来に付け回すのか?
ふたつの理由が考えられます。

ひとつは、外部世界に回せなくなったことです。
かつて、王権とその取り巻きは、生産活動を民衆や異民族に押し付けました。
ギリシャの民主主義も、奴隷たちの労働のうえに成り立っていたこと。
否定しようもない現実です。
特権を持つものと、持たないものに分断された世界。
それが、約1万年前、わたしたちの祖先が農耕や牧畜という技術を身につけていらい、わたしたちが維持してきた社会の基本的な仕組みでした。
余剰を生み出すものと、余剰を奪うものとの分断です。

近代工業の発展は、王権や帝政を崩し、「国民国家」を生み出しました。
エネルギー革命にともなう大量生産。
それが、一般市民の大量消費を必要とした。
そのことから生まれた、史上初めての「庶民の時代」です。
そこでは、「国民すべての平等」がうたわれます。
それはしかし、「外」と「内」に分断された世界でした・
求められるのは「国内」の豊かさであり、当然のように、犠牲は「国外」に回されました。

いま、曲がりなりにも、世界中、すべての人間に「人権」が認められています。
「国外」に犠牲をツケ回しするわけにはゆきません。
冷戦の終結で、「戦争もどき」で浪費するわけにもいきません。
犠牲を付け回す「外部世界」がなくなったのです。

いや、実は、まだ残っていました。
時間差を利用する。
そして、未来に犠牲をつけ回す。
そんな方法を、わたしたちは発明したのではないでしょうか?
       (つづく)
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2011年11月24日

4)「受益者」&「加害者」

「ツケを未来に回す」仕組み(4)


なぜ、日本の「脱原発」の声が国民的な運動に広がらないのか?
なぜ、「少数派の文化活動」のおもむきなのか?

わたしの考えでは、わたしたち自身が(原発の)「受益者」だからです。
それどころか、わたしたちが、「加害者」だからです。
受益者であり、加害者でもある、わたしたち。
そのことに、わたしたち自身がすくんでいます。

福島第一原発事故が暴いた、恐るべき真実。
それは、わたしたちの現代文明が、「未来」の犠牲のうえに成り立っている、ということでした。
「いま」の豊かさのために、「未来」の放射能は見ないふりをする。
それが、原子力発電所という装置の真実でした。
事故をきっかけに、そのことが否定できない現実として、分かってしまいました。

巨大化する国債はどうでしょう。
わたしたちは、「いま」の豊かさのために、「未来」のおカネを使っています。
それは、未来の人々が、その勤労によって稼ぎ出すおカネです。

年金、公害……重要な問題は、みんな同じ仕組みです。
「いま」の利便のために、「つけ」を未来に回す。
「いま生きている」わたしたちが受益者であり、加害者です。
未来の人々が、狙われた犠牲者です。
未来の人々、それは、「いまの子どもたち」、そして、これから生まれてくる「未来の子どもたち」です。

現代文明は、被害を未来に付け回すことで成り立っている。
そのことを、恐ろしいほどはっきりと分からせたのが、福島第一原発事故でした。
       (つづく)
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2011年11月23日

3)「少数派の文化活動」

「ツケを未来に回す」仕組み(3)


アラブ、インド、欧米、日本……
世界各地で見られる、直接行動。
共通して、はっきり見られることがあります。

主役が、比較的若い層です。
ツイッターやフェイスブックが使われています。
10年前にはなかった、コミュニケーション・ツールです。
それなりの知的レベルが感じられます。
「現状への不満、怒り」――それも、指摘できます。

しかし、それ以上に共通点を探すのは、無理なように思えます。
動機も、背景も、広がりも、違います。
アラブやインドでは、国民的大運動となり、一応の目的は達しました。
もっともエジプトでは、いままさに民衆蜂起が再燃しています。
犠牲者も出ています。
「アラブの春」は、大きな歴史的変動のごく一部が過ぎただけ、と見た方がよさそうです。

そして、欧米や日本。
もちろん終息に向かうとは思えません。
それでも、いまのところは、政治運動というより、どちらかといえば、少数派の文化活動のようなおもむきです。
       (つづく)
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2011年11月22日

2)直接行動に立ち上がる人々

「ツケを未来に回す」仕組み(2)

世界各地で、直接行動にたちがあがる人々――。
何が、この人たちを動かしたのか?

アラブの場合は、長期独裁政権でした。
それを実際に倒して見せた「チェニジアの成功」が火をつけました。
インドの場合は、相次ぐ汚職事件でした。
ひとりの老人の断食が、火をつけました。
ウォール街の場合は、広がる格差と貧困、そして若者たちの失業でした。
カナダの小さな雑誌『アドバスターズ』が、火をつけました。
そして、同じ要因が、ヨーロッパに運動を広げました。

日本の場合は、福島第一原発事故でした。
(多分)政府と東電のあいまいな対応が、火をつけました。
その他にも、中国で頻発する反不正デモなども、あります。

それぞれに、動機も、背景も違います。
もう一度、問います。
共通の要因を探ることは、可能でしょうか?
       (つづく)
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2011年11月21日

1) つながる世界

「ツケを未来に回す」仕組み(1)

1) つながる世界
「インド人民革命」について報告してきました。
8月に訪れたインドで、たままた遭遇したものです。
ひとりの老人が「断食」という方法で呼び起こした、大国民運動。
それが、曲がりなりにも、政府や議会といった既成勢力を屈服させました。

多くのことを、考えさせられました。
ひとつは、世界の連動性ということです。

インドのマスコミは、"断食老人″である、アンナ・ハザレ氏の勝利を「people’s revolution(
人民革命)」と歌いあげていました。
そして、「アラブの春」と結び付けました。
チェニジアやエジプトの政権を転覆し、リビアのカダフィ大佐を死に追いやった、あの大変革です。
両者は、ほんとうに、つながっているのでしょうか?

もし、つながっているとすれば、アメリカ・ニューヨークで起こった「ウォール街を占拠せよ」運動ともつながっているのではないでしょうか?
そうすると、日本の脱原発デモとのつながりもみえてきます。

これらが仮につながっているとすると、共通の要因があるはずです。
何がいったい、人々を直接行動に立ち上がらせているのか?
       (つづく)
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2011年11月09日

選挙と留保制度

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(31)

留保(reservation)は、インド憲法に基づいています。
大学など高等教育機関への入学、公務員の採用、国会・地方議会などの議員――などについて、社会的弱者とされる人々が優遇される仕組みです。
「ゲタをはかせる」
「定員の一定枠を割り当てる」
などの方法がとられています。
「社会的弱者」は、政府がきめる一覧表に書かれ「指定カースト」「指定部族」などと呼ばれます。
議会議員選挙の場合、特定の選挙区は「指定カースト」や「指定部族」に割り当てられ、そのカースト、あるいは部族に属していないと立候補できません。

 厳しいカースト差別のあるインドならの仕組みです。
 しかし、現実には「逆差別」の仕組みになっている、大学、公務員、議会などの「質の低下」を招いているーーといった批判もあります。

 そこに切り込む、とハザレ兄貴はいいました。
 どんな策を出してくるのか?
 また、国民的支持を得ることができるのか?

 相当に困難な問題に踏み込むことになるでしょう。
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2011年11月08日

「半分、勝った」

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(30)

 ハザレ氏は8月28日午前10時20分、デリー市内の会場でハチミツ入りココナツ水を口にし、12日間にわたった断食を中止しました。
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その模様も、ライブでテレビ中継されました。
ココナツ水を渡す2人の少女は、それぞれ、イスラム教徒とダリット(アウトカースト)。
心憎い、そして、心配りに効いた、演出dす。

ハザレ兄貴の勝利宣言は、こうでした。
「半分、勝った」
そして、
「次は、選挙制度改革だ」

以上が、わたしなりに理解した、今回のインド版people’s revolutionの要約です。

そして、もうひとつ付け加えたいことがあります。
ハザレ氏が、次の課題として掲げた、「選挙制度改革」。
これが、インドでは、途方もないほど困難で、大きな改革であろうということです。
留保制度(reservation )という仕組みが、インドの選挙にはあるからです。
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2011年11月07日

インド人民党の別働隊?

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(29)
 ハザレ兄貴の「断食」を支援する熱狂。
 それは深く、広く、浸透しているように感じました。

 しかし、だれもが、彼をを支持したわけではありません。
 IIT(Indian Institute of Technology)のM教授は、身障者の装具について研究する温厚な紳士です。
その、温厚な紳士の見立て。
「インド人民党が、影で動いている」
インド人民党は、ヒンドゥー教至上主義団体と近いとみられています。
その「別働隊」だというのです。

 ハザレ兄貴は、故郷マハラシュトラ州ラレガンシディ村で、水資源管理を中心にした農村改革に取り組み、貧しかった村を農産物が輸出できるほどの豊かな村に変えた、といわれています。
 前回紹介した、Pさんが称賛していた点のひとつです。
 しかし、そんな活動にも、M教授からは批判がありました。
「村では酒もタバコも売っていない、という。飲酒したり、タバコを吸ったりする者は、木に縛り付けて反省させたということだ」
M教授夫人は、言語学者で、絵もお描きになります。
部屋には、夫人の難解な抽象画数点とともに、毛沢東の等身大肖像画(上半身)が飾られていました。

ついでにいえば、共産党毛沢東派はインドでは健在です。
「毛沢東派の軍事攻勢で警官隊10人が死亡」
こんな記事が、ハザレ兄貴の断食を伝える新聞の1面で、小さく載っていることが、しばしまありました。
posted by Yoshimura_F at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2011年11月05日

「断食」に共感したひとびと

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(28)

 チーム・アンナの「3条件」受け入れ。
それが政府側からチーム・アンナに伝えられたとき、わたしは、知人のPさんの家にいました。
そして、まさしく24時間「ハザレ・ライブ」の続くテレビを、Pさん一家とみていました。
 みんなが顔を見合わせて、頬笑みを交わしていました。
喜びの微笑みです。
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 お姉さんは、ハザレ兄貴支持のシンボルともいえる白い帽子を取りだしてきました。
 ハザレ兄貴の断食が広げた、幅広い市民の共感と団結。
 それを、実感した瞬間でした。
 
Pさんは、盲人福祉関係の団体の切り盛りで、大忙しです。
お兄さんのひとりは、インド考古学会の重鎮。
いまひとりは、ネルー大学ロシア語科の元教授、お姉さんは専門学校でヒンディ語を教えるというインテリ一家です。
 こころやさしく、倫理性の高い、インドの良き伝統を体現したような一家だといえしょう。
 ハザレ兄貴の断食に動かされたのは、そんな多くの人々のこころでした。
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2011年11月04日

絞り込まれた要求

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(27)

 汚職防止のため、ロクパル設置を求めるハザレ兄貴の断食を支持する集会、デモは、全国にひろがります。
 さながら、遼原の火です。
 それは、政府・議会の危機です。
 断食をやめさせなければなりません。
 アンナ・ハザレの側も、断食が、いつまでも続けられる戦術ではありません。
 
 妥協をめぐる、政府とチーム・アンナの折衝が続きます。
 チーム・アンナが、断食を止める条件として最終的にまとめた要求は、以下の3点です。
(1) 下級公務員もロクパルの対象とする
(2) 各州にも、同様の汚職防止組織ロカユクタを設立する
(3) 各省庁の公務員の義務を規定した「市民憲章」の護持を法案に盛る
 ――わたしからみると、ロクパルの内容に触れていない点で、奇妙な「最終要求」です。
 (1)についていえば、庶民が日常的に苦しめられているのは、下級官吏の嫌がらせや怠業だからです。しかし、下級公務員の多くは、中央政府の直接雇用ではない、と聞いています。
 (2)についていえば、州自治の原則からいって、中央政府が州の新組織の立ち上げを指令できるか、という問題があります。
 (3)は、(多分)たとえば「市民の要求は誠実に聞きましょう」といった類の、倫理的な「努力目標」です。

 ともあれ、これを政府は受け入れました。
そして、要求に沿ってロクパル法案を審議していくことを、上下両院で決議したのです。
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2011年11月02日

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(26)

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(26)
ニューデリーに戻った、ある朝。
知人のうちで紅茶を飲んでいると、表の街路から騒がしい声が聞こえてきました。
出てみると、若い高校生の一団です。
インド国旗を掲げた若者もいます。
「アンナ・ハザレ支援の集会に行くところだ」
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半世紀前の安保闘争のことを思い出しました。
あのとき、わたしは大学にはいったばかりでした。
「クラス討議」が頻繁に開かれました。
いつの間にか、活動家になっていた級友もいました。
街頭デモもありました。
高校生のデモもみられました。

あのときのような盛り上がりが、インドの「いま」に広がっているようです。
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2011年11月01日

ジャイプールでも大集会

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(25)
せっかくインドに行くのだから、田舎もみておきたい――。
 列車でアグラ、ジャイプールと回りました。
 一番簡略なインド地方旅です。
  アグラは、あの有名なタージマハルがあります。
 
あいにく雨もよいの蒸し暑い日でした。
ムガル帝国第5代皇帝シャー。ジャハーンと愛妃ムムターズ・マハルが眠る廟室は、ラッシュの山手線並みの混雑振りでした。
撮影禁止の表示もものかわ、フラッシュが繰り返し光っていました。

ジャイプールを訪れたのは、クリシュナ神の誕生日でした。
クリシュナ神は、最高神ヴィシュヌの、唯一の完全な化身。ハンサムな、女たらしの神様です。
そんななかで、ジャイプールでもハザレ支持の大集会が開かれたことを、翌日の新聞で知りました。
どうやら、インド中に広がっているようです。

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