「人民のロクバル法案」と「政府のロクパル法案」の比較
1)権限
人民案;ロクパルが独自に(汚職事件の)調査に着手したり、民衆からの苦情申し立てを受け付けたりすることができる。
政府案;訴え(苦情申し立て)は上下両院議長が受け付け、ロクパルは両院議長から要請のあった事案について調査する。
問題点
政府案には、ロクパルの自主性はありません。そして、きわめて具体的な問題を含んでいます。
国会議長とは、政治家です。普通、与党から選ばれます。
閣僚や与党議員、さらには、与党連合に属する政治家に関する(汚職などの)訴えや苦情申し立てを、ロクパルに回すでしょうか?
政府案は、国民の九量申し立ては、実質的に、与党の恣意に任されることになります。
2)権威
人民案;ロクパルは汚職調査が終了した段階で、誰に対しても(独自に)訴追の手続きに着手することができる。
政府案;ロクパルは諮問機関であって、調査結果は適切な政府機関(首相)に報告する。その後の処置についての権限は政府機関(首相)が持つ。
問題点;
調査結果が「黒」と出ても、何の手続きもとられない可能性があります。
複数政党制をとるインドでは、連立政権が普通のことです。連立与党に属する閣僚や銀に対して、政権維持の立場から、首相は訴追の手続きをとることができないでしょう。
2011年09月30日
2011年09月27日
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(10)
★インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(10)
「オンブズマン」とは?
ロクパルについて、インドのマスコミはしばしば「オンブズマン」と説明しています。
では、「オンブズマン」とは、いかなるものでしょうか?
web辞書 Wikipediaによると、「オンブズマン」には、以下の3つの機能が想定されています。
1)オンブズマンは行政機関に対する調査権を持ち、任命権者から独立的、または中立的に職務を行う。
2)行政権の行使(または不行使)に対する国民の苦情申し立てに対する調査を行うが、職権により独自に調査を開始することもある。 調査の結果行われる勧告は法的な強制力を伴うものではないが、強制力のある処分を行う権限を持つ場合もある。
3)オンブズマンは行政権の行使が合法か否かという点だけではなく、公平・公正性の観点からも審査を行い、現行制度の改善を勧告する権能もある。
「任命権者から独立的、または中立的に」 そして
「行政権の行使(または不行使)に対する国民の苦情申し立てに対する調査を行う」
この2点がポイントでしょう。
日本では、川崎市などの自治体レベル、あるいは、市民らが自ら名乗る市民レベルのものがあるだけのようです。
「オンブズマン」とは?
ロクパルについて、インドのマスコミはしばしば「オンブズマン」と説明しています。
では、「オンブズマン」とは、いかなるものでしょうか?
web辞書 Wikipediaによると、「オンブズマン」には、以下の3つの機能が想定されています。
1)オンブズマンは行政機関に対する調査権を持ち、任命権者から独立的、または中立的に職務を行う。
2)行政権の行使(または不行使)に対する国民の苦情申し立てに対する調査を行うが、職権により独自に調査を開始することもある。 調査の結果行われる勧告は法的な強制力を伴うものではないが、強制力のある処分を行う権限を持つ場合もある。
3)オンブズマンは行政権の行使が合法か否かという点だけではなく、公平・公正性の観点からも審査を行い、現行制度の改善を勧告する権能もある。
「任命権者から独立的、または中立的に」 そして
「行政権の行使(または不行使)に対する国民の苦情申し立てに対する調査を行う」
この2点がポイントでしょう。
日本では、川崎市などの自治体レベル、あるいは、市民らが自ら名乗る市民レベルのものがあるだけのようです。
2011年09月26日
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(9)
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(9)
基本的な対立点
ロクパルとは何か?
それがはっきりしないことには、議論は進みません。
Lokは人民、Pal は保護者を意味します。
両方あわせて、ロクパルは「人民を護る者」、古代ギリシャ風にいえば「護民官」です。
インドのマスコミは、しばしば、オンブズマン(制度)と解説していました。
それはいったい何なのか?
この点についての理解こそが、チーム・ハザレと、政府や政治家たちとの考えの違いの出発点のように思えます。
わたしの解釈ですが、チーム・ハザレは、「(蔓延する)汚職を防止し、追放する最終機関」とみています。
それに対し、政府の位置づけは、あくまでも政府の「下部組織」です。
チーム・ハザレは“とてつもなく強大な(かつての)東京地検”を求めている。
それに対し、政府はせいぜいが“行政監察委員会”程度のもので対処したい。
――こんな基本的対立点があります。
基本的な対立点
ロクパルとは何か?
それがはっきりしないことには、議論は進みません。
Lokは人民、Pal は保護者を意味します。
両方あわせて、ロクパルは「人民を護る者」、古代ギリシャ風にいえば「護民官」です。
インドのマスコミは、しばしば、オンブズマン(制度)と解説していました。
それはいったい何なのか?
この点についての理解こそが、チーム・ハザレと、政府や政治家たちとの考えの違いの出発点のように思えます。
わたしの解釈ですが、チーム・ハザレは、「(蔓延する)汚職を防止し、追放する最終機関」とみています。
それに対し、政府の位置づけは、あくまでも政府の「下部組織」です。
チーム・ハザレは“とてつもなく強大な(かつての)東京地検”を求めている。
それに対し、政府はせいぜいが“行政監察委員会”程度のもので対処したい。
――こんな基本的対立点があります。
2011年09月25日
読者の「アンテナを探る」マスコミ戦略
★インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(8)
マスコミ戦略としての「現代のガンディ」
ハザレ兄貴が「現代のガンディ」と呼ばれるのは、マスコミの情報戦略もあります。
意外性がニュースだとしばしば信じられています。
しかし、それは違います。
「知っていること」を聞く。そして、確認する。
そんな形で、人は情報を受け取ります。
「知っていること」
それは、いい換えれば「アンテナが立っていること」です。
情報が情報として伝わるためには、受け手のアンテナが必要です。
マハトマ・ガンディなら、多くの日本人が知っています。
その名前を聞くことで、アンテナの触手が動き始めます。
「現代のガンディ」というキャッチフレーズは、そんな情報の特性を利用して読者の注意を喚起しようとする、記者(マスコミ)の手法のひとつともいえます。
比喩にはまた、ひとことでイメージを喚起できる。
そんな力があります。
ハザレ兄貴について、「現代のガンディ」のたとえは、インドのマスコミも使っています。
しかし、「ひとことで喚起されるイメージ」が、実は大きく歪んだイメージであることがしばしばあります。
マスコミ戦略としての「現代のガンディ」
ハザレ兄貴が「現代のガンディ」と呼ばれるのは、マスコミの情報戦略もあります。
意外性がニュースだとしばしば信じられています。
しかし、それは違います。
「知っていること」を聞く。そして、確認する。
そんな形で、人は情報を受け取ります。
「知っていること」
それは、いい換えれば「アンテナが立っていること」です。
情報が情報として伝わるためには、受け手のアンテナが必要です。
マハトマ・ガンディなら、多くの日本人が知っています。
その名前を聞くことで、アンテナの触手が動き始めます。
「現代のガンディ」というキャッチフレーズは、そんな情報の特性を利用して読者の注意を喚起しようとする、記者(マスコミ)の手法のひとつともいえます。
比喩にはまた、ひとことでイメージを喚起できる。
そんな力があります。
ハザレ兄貴について、「現代のガンディ」のたとえは、インドのマスコミも使っています。
しかし、「ひとことで喚起されるイメージ」が、実は大きく歪んだイメージであることがしばしばあります。
2011年09月24日
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(7)
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(7)
「現代のガンディ」
ハザレ兄貴はしばしば、インド独立の父マハトマ・ガンディに擬せられます。
日本の新聞も、『現代のガンディ』として紹介していました。

比較すると、少々太目な感じもあるのですが、全体としての風貌、白いトピ(帽子)を被り、インドの民族衣装であるドゥティ(腰巻)を腰に巻いた姿…などが、ガンディ翁を連想させます。
;
「断食」という戦術も、ガンディ翁を受け継いでいます。
ガンディ翁の真髄は、よく知られるように、「非暴力・不服従」です。
「非暴力・不服従」を旗印に、彼は、インドの大英帝国からの独立を勝ち取りました。
そのガンディがしばしば用いた戦術が、断食です。
実に、生涯で18回。
インドとパキスタンが分かれて独立した際も、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の暴力的対立を阻止しようと、断食しました。
(多くの日本人に嫌われる)カースト制度の維持を訴える断食も、しています。
「現代のガンディ」
ハザレ兄貴はしばしば、インド独立の父マハトマ・ガンディに擬せられます。
日本の新聞も、『現代のガンディ』として紹介していました。

比較すると、少々太目な感じもあるのですが、全体としての風貌、白いトピ(帽子)を被り、インドの民族衣装であるドゥティ(腰巻)を腰に巻いた姿…などが、ガンディ翁を連想させます。
;
「断食」という戦術も、ガンディ翁を受け継いでいます。
ガンディ翁の真髄は、よく知られるように、「非暴力・不服従」です。
「非暴力・不服従」を旗印に、彼は、インドの大英帝国からの独立を勝ち取りました。
そのガンディがしばしば用いた戦術が、断食です。
実に、生涯で18回。
インドとパキスタンが分かれて独立した際も、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の暴力的対立を阻止しようと、断食しました。
(多くの日本人に嫌われる)カースト制度の維持を訴える断食も、しています。
2011年09月23日
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(6)
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(6)
「断食」が得意技(
ハザレ兄貴の得意技が、断食です。
ある新聞がまとめていたところによると、兄貴の断食は、ここ20年余りで、今回を含めて6回に及んでいます。
具体的なことは分からないのですが、ともあれ、「社会正義」を求めて、断食を繰り返してきたことは分かります。
1)1989年5月
農業危機と電力の不適切な供給(デモの際警察が発砲したため農民4人が死亡)に反対して9日間の断食。要求は部分的に達成
2)1996年11月
州内閣の閣僚2人の免職を求めて14日間、要求は貫徹
3)1997年5月 59歳11ヶ月のとき、9日間
自らの主催するトラストに対する非難を調査するよう求めて9日間、
要求は部分的に達成
3)2003年8月
前大臣へのaction(免職?)を求めて8日間
要求は部分的に達成
4)2004年2月
州の情報法についての権利を要求して9日間
貫徹
5)2004年8月
中央政府のRTI法(情報への権利法=情報公開法)制定を求めて9日間
貫徹(2005年制定)
6)2011年8月 今回
「人民のロクパル法」を求めて 12日間
要求は部分的に達成
「断食」が得意技(
ハザレ兄貴の得意技が、断食です。
ある新聞がまとめていたところによると、兄貴の断食は、ここ20年余りで、今回を含めて6回に及んでいます。
具体的なことは分からないのですが、ともあれ、「社会正義」を求めて、断食を繰り返してきたことは分かります。
1)1989年5月
農業危機と電力の不適切な供給(デモの際警察が発砲したため農民4人が死亡)に反対して9日間の断食。要求は部分的に達成
2)1996年11月
州内閣の閣僚2人の免職を求めて14日間、要求は貫徹
3)1997年5月 59歳11ヶ月のとき、9日間
自らの主催するトラストに対する非難を調査するよう求めて9日間、
要求は部分的に達成
3)2003年8月
前大臣へのaction(免職?)を求めて8日間
要求は部分的に達成
4)2004年2月
州の情報法についての権利を要求して9日間
貫徹
5)2004年8月
中央政府のRTI法(情報への権利法=情報公開法)制定を求めて9日間
貫徹(2005年制定)
6)2011年8月 今回
「人民のロクパル法」を求めて 12日間
要求は部分的に達成
2011年09月22日
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(5)
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(5)
ハザレ兄貴(2)
ハザレ兄貴の水資源保護活動を通して、豊かさを獲得した村。
村人は、酒を飲まず、煙草も吸いません。
高度な道徳性を獲得した、ともいえるでしょう。
しかし、そこがまさに、議論の分かれるところのひとつでした。
パンディさんのように「感激する」見方もあります。
この人たちは、こんなハザレ兄貴が断食する姿に、インド独立の父マハトマ・ガンジーを重ね合わせてみています。
しかし、もう一方の情報では、ハザレ兄貴は「村で飲酒した若者を柱に縛りつけて(仲間たちに)殴らせた」ともいわれています。
そうした点を批判する人々は、権威主義そして右翼勢力の影を、ハザレ兄貴にみています。
もともとは、マハラシュトラ州だけの地方的な存在です。
それが、全国的な運動のシンボルに躍り出たのは、この4月、ニューデリーでロクパル法の制定を求めて断食を始めてからです。
テレビは24時間ライブで、ハザレ兄貴の断食の様子を伝えました。
新聞・雑誌も書きたてました。
周辺に強力な支援チームができていました。
「チーム・アンナ」と呼ばれます。
ハザレ兄貴(2)
ハザレ兄貴の水資源保護活動を通して、豊かさを獲得した村。
村人は、酒を飲まず、煙草も吸いません。
高度な道徳性を獲得した、ともいえるでしょう。
しかし、そこがまさに、議論の分かれるところのひとつでした。
パンディさんのように「感激する」見方もあります。
この人たちは、こんなハザレ兄貴が断食する姿に、インド独立の父マハトマ・ガンジーを重ね合わせてみています。
しかし、もう一方の情報では、ハザレ兄貴は「村で飲酒した若者を柱に縛りつけて(仲間たちに)殴らせた」ともいわれています。
そうした点を批判する人々は、権威主義そして右翼勢力の影を、ハザレ兄貴にみています。
もともとは、マハラシュトラ州だけの地方的な存在です。
それが、全国的な運動のシンボルに躍り出たのは、この4月、ニューデリーでロクパル法の制定を求めて断食を始めてからです。
テレビは24時間ライブで、ハザレ兄貴の断食の様子を伝えました。
新聞・雑誌も書きたてました。
周辺に強力な支援チームができていました。
「チーム・アンナ」と呼ばれます。
2011年09月20日
ハザレ兄貴とは?

インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(4)
ハザレ兄貴(1)
ロクパルとは何か?
その問題にはいる前に押さえておきたいことがあります。
断食で腐敗防止を訴えた、アンナ・ハザレとは、どのような人物なのか?
旅行中に新聞雑誌で読んだ範囲、それ以上に、さまざまな人々から断片的に聞いた範囲で、できるだけ簡略に、アンナ・ハザレ氏の実像を探ってみます。
(アンナ・ハザレの「アンナ」は「おにいさん」という意味だと聞きました。そのことに敬意を表して、これからは「ハザレ兄貴」と表記することにします)
現在74歳です。
若いころは、陸軍にいました。
運転手をしていた、といいます。
退職後、故郷のインド西部マハラシュトラ州のラレガンシディ村に戻りました。
当時は、乾燥し、荒れた村です。
人々――とくに女性は、水の運搬に苦しんでいました。
戻ってきたハザレ兄貴は、社会運動家に変身していました。
力をそそいだのが、水資源の保護です。
そして、水不足に悩む褐色の村を、緑豊かな実りの村に変えました。
知人のパンディさんは、以前、日本大使館に勤めていらっしゃいました。
いまは、盲人保護協会の副理事長。
「実質的なCEOです。ボランティアだが、大使館時代より忙しい」
と話していました。
パンディさんは、インド音楽の造詣が深く、その上、並はずれた旅行家です。
日本、中国、中近東、アフリカなどを訪れました。
キルギスタンに行ったのは、朗々としたパンディさんの歌を聞いた元インド大使に万かれたのでした。
そして、もちろん、インド各地にも足跡を記してきました。
20年ぐらい前のことです――マハラシュトラ州を旅していました。
そのとき、ラレガンシディ村のうわさを聞いた、と話してくれました。
「砂漠のようだった村が、緑の村に変わった。農産物を外国に輸出できるようになった」
それだけではありません。
「村の人々は、酒も飲まず、煙草も吸わない」
ここが実は、ハザレ兄貴についての議論の分かれるところです。
2011年09月19日
統治ということの宿命
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(3)
統治ということの宿命
汚職はしかし、政治家や高級官僚だけの専売特許ではありません。
交通警察、移民局、税務当局、電気代の支払い、その他、その他……。
ごく小額の袖の下の要求から役得、サボタージュ、嫌がらせ、ときに暴力行為……。
「最末端のお役人から受ける被害も、ロクパルの対象にしなければならない」
そのように、「断食」老人とその仲間は主張しています。
役得やコネ、癒着を、すべて否定しようとは思いません。
「顔見知り」が優位に立つのは、人間社会の常識です。
しかし、程度の問題はあると思うのです。
先日の朝日新聞にこんな内容のことが書かれていました。
「通商産業省の職員に、東電の社員が『お子様の就職はみますよ』と声をかけている。現に幹部・某の娘も東電で働いている」
それが主題ではなく、長い記事の中の1行です。
しかし、この就職難の時代――
小さな役得のようでも、生涯賃金で考えれば、数億円の話です。
そんな風にして“癒着”や“村”が生まれるとすれば、やはり、問題ではないでしょうか?
話が、日本に飛び火してしまいました。
しかし、政治家やお役人たちの汚職や腐敗、さじ加減による人民の被害は、まずは万国共通といえるでしょう。
いわば、統治機構として権威・権力を付与されたものと、その権威・権力のもとで暮らす者たちとの関係が生みだす宿命です。
(そのような状況に国民が嫌気がさしていたこと。
それが、3年前の総選挙で国民が民主党の『脱官僚』に支持をあたえた理由だと、とわたしは考えています。
そのあと、2つの『脱官僚』内閣が潰れて、野田政権が誕生しました。
官僚の認めない首相はつぶされる、
そして、ようやく官僚の認める内閣に戻った。
野田政権の成立はそういうことではないか、とわたしは疑っています。
もちろん、確証があるわけではありません。
ついでにいえば、マスコミへの不信がいま強まっているように思います。
これは、マスコミの立ち位置が官僚の側にあることが明瞭になってきた。
そのことが原因ではないか、とも考えます9
しかし、これは別に論じるべき問題です)
ともあれ、上記のような統治機構が本来的に抱える問題に対処する方法として、インドで提案され、一人の老人の断食をきっかけに「国民が熱狂的な支持をあたえたのが、ロクパルでした。
では、ロクパルとはいったいどのような機構なのでしょうか?
人々は、ロクパルについて、どんなイメージをもっているのでしょうか?
統治ということの宿命
汚職はしかし、政治家や高級官僚だけの専売特許ではありません。
交通警察、移民局、税務当局、電気代の支払い、その他、その他……。
ごく小額の袖の下の要求から役得、サボタージュ、嫌がらせ、ときに暴力行為……。
「最末端のお役人から受ける被害も、ロクパルの対象にしなければならない」
そのように、「断食」老人とその仲間は主張しています。
役得やコネ、癒着を、すべて否定しようとは思いません。
「顔見知り」が優位に立つのは、人間社会の常識です。
しかし、程度の問題はあると思うのです。
先日の朝日新聞にこんな内容のことが書かれていました。
「通商産業省の職員に、東電の社員が『お子様の就職はみますよ』と声をかけている。現に幹部・某の娘も東電で働いている」
それが主題ではなく、長い記事の中の1行です。
しかし、この就職難の時代――
小さな役得のようでも、生涯賃金で考えれば、数億円の話です。
そんな風にして“癒着”や“村”が生まれるとすれば、やはり、問題ではないでしょうか?
話が、日本に飛び火してしまいました。
しかし、政治家やお役人たちの汚職や腐敗、さじ加減による人民の被害は、まずは万国共通といえるでしょう。
いわば、統治機構として権威・権力を付与されたものと、その権威・権力のもとで暮らす者たちとの関係が生みだす宿命です。
(そのような状況に国民が嫌気がさしていたこと。
それが、3年前の総選挙で国民が民主党の『脱官僚』に支持をあたえた理由だと、とわたしは考えています。
そのあと、2つの『脱官僚』内閣が潰れて、野田政権が誕生しました。
官僚の認めない首相はつぶされる、
そして、ようやく官僚の認める内閣に戻った。
野田政権の成立はそういうことではないか、とわたしは疑っています。
もちろん、確証があるわけではありません。
ついでにいえば、マスコミへの不信がいま強まっているように思います。
これは、マスコミの立ち位置が官僚の側にあることが明瞭になってきた。
そのことが原因ではないか、とも考えます9
しかし、これは別に論じるべき問題です)
ともあれ、上記のような統治機構が本来的に抱える問題に対処する方法として、インドで提案され、一人の老人の断食をきっかけに「国民が熱狂的な支持をあたえたのが、ロクパルでした。
では、ロクパルとはいったいどのような機構なのでしょうか?
人々は、ロクパルについて、どんなイメージをもっているのでしょうか?
2011年09月17日
相次ぐ大型汚職事件
★インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(2)
相次ぐ大型汚職事件
老人が断食に立ち上がり、人々が集会やデモで、それに呼応したのは、昨年から今年にかけて、大規模な汚職事件が立て続けに摘発されたり、メディアで取り上げられたりしてきたことがあります。
現地で耳にし、ネットで拾った範囲で報告します。
●昨年摘発された携帯電話の周波数割り当てをめぐる不正入札事件;
担当の通信大臣を含む3人の政治家が今年2月、逮捕されました。
多額の裏金を受け取り、周波数帯の割当やライセンスを不当に安く大企業に割り当てて国家に損害を与えた容疑です。
● ムンバイ(旧ボンベイ)の高層マンション不正取得事件;
31階建て、103戸の高層マンションが、ムンバイの一等地に建てられました。
12年前、パキスタンとの戦闘で死亡した軍人の遺族を住まわせるという名目です。
ところが、実際に入居した遺族は3戸だけ。
残りは、軍の幹部や政治家、高級官僚の親族らが入居していたことが分かりました。
海に東西を囲まれたムンバイは、世界で最も不動産価格の高い都市として知られています。
1戸160万ドル、1億4000万円(当時)の価値があるとみられていた部屋を、政治家や官僚は13万ドルほどで入手してた、といいます。
地元のマハラシュトラ州の首相は、3つの部屋を取得し、そのひとつに義理の母を入居させていたとして、辞任に追い込まれました。
●昨年10月、ニューデリーで開かれた英連邦スポーツ大会の施設の建築をめぐる汚職事件;
取引業者との間で請求書のねつ造。水増し請求などで裏金をつくりだしていたとして、大会組織委員長(下院議員)が逮捕されました。
●カルナタカ州の州首相の鉱山採掘をめぐる汚職事件;
もともと“汚い”政治家だったようです。
今年2月、鉱山採掘をめぐって多額の裏金を受け取った疑いが発覚し、辞任に追い込まれました。
相次ぐ大型汚職事件
老人が断食に立ち上がり、人々が集会やデモで、それに呼応したのは、昨年から今年にかけて、大規模な汚職事件が立て続けに摘発されたり、メディアで取り上げられたりしてきたことがあります。
現地で耳にし、ネットで拾った範囲で報告します。
●昨年摘発された携帯電話の周波数割り当てをめぐる不正入札事件;
担当の通信大臣を含む3人の政治家が今年2月、逮捕されました。
多額の裏金を受け取り、周波数帯の割当やライセンスを不当に安く大企業に割り当てて国家に損害を与えた容疑です。
● ムンバイ(旧ボンベイ)の高層マンション不正取得事件;
31階建て、103戸の高層マンションが、ムンバイの一等地に建てられました。
12年前、パキスタンとの戦闘で死亡した軍人の遺族を住まわせるという名目です。
ところが、実際に入居した遺族は3戸だけ。
残りは、軍の幹部や政治家、高級官僚の親族らが入居していたことが分かりました。
海に東西を囲まれたムンバイは、世界で最も不動産価格の高い都市として知られています。
1戸160万ドル、1億4000万円(当時)の価値があるとみられていた部屋を、政治家や官僚は13万ドルほどで入手してた、といいます。
地元のマハラシュトラ州の首相は、3つの部屋を取得し、そのひとつに義理の母を入居させていたとして、辞任に追い込まれました。
●昨年10月、ニューデリーで開かれた英連邦スポーツ大会の施設の建築をめぐる汚職事件;
取引業者との間で請求書のねつ造。水増し請求などで裏金をつくりだしていたとして、大会組織委員長(下院議員)が逮捕されました。
●カルナタカ州の州首相の鉱山採掘をめぐる汚職事件;
もともと“汚い”政治家だったようです。
今年2月、鉱山採掘をめぐって多額の裏金を受け取った疑いが発覚し、辞任に追い込まれました。
2011年09月16日
何が「人民の革命」なのか?
インド版「People’s Revolution(人民の革命)」(1)
何が「人民の革命」なのか?
インドは民主主義国です。
独立以来『世界最大の民主主義』を誇ってきました。
そのインドで、一人の老人が、断食という方法で政治を動かしたのです。
具体的には、「汚職防止・取締りのための強力な機関(ロクパル)」の設置を、政治家たちに認めさせ、政治家たちが骨抜きにすることを許しませんでした。
断食は、いわば「いのち」をかけた訴えです。
政治家たち、そして、国民に、みずからの「いのち」という拳銃を突きつける。
そして、大衆を動員し、政治を動かす。
そのような手法が成功したこと。
それが、「People’s Revolution(人民の革命)」の中身です。
これはしかし、見方によっては、インドが誇ってきた、民主主義のシステムの否定です。
それが、「人民革命」として賞賛されること。
そのことの意味は、軽くありません。
何が「人民の革命」なのか?
インドは民主主義国です。
独立以来『世界最大の民主主義』を誇ってきました。
そのインドで、一人の老人が、断食という方法で政治を動かしたのです。
具体的には、「汚職防止・取締りのための強力な機関(ロクパル)」の設置を、政治家たちに認めさせ、政治家たちが骨抜きにすることを許しませんでした。
断食は、いわば「いのち」をかけた訴えです。
政治家たち、そして、国民に、みずからの「いのち」という拳銃を突きつける。
そして、大衆を動員し、政治を動かす。
そのような手法が成功したこと。
それが、「People’s Revolution(人民の革命)」の中身です。
これはしかし、見方によっては、インドが誇ってきた、民主主義のシステムの否定です。
それが、「人民革命」として賞賛されること。
そのことの意味は、軽くありません。
2011年09月15日
飛行機のポスターを描く

九 月 十 五 日
今日は、ほんとうによいお天気であったと思ったらおひるから少し曇って来た。
長谷川先生がお話をして下さった。
そうして今日は習字を三宅先生にならった。私たちは、午前中にひこうきをもって
いない人は、飛行機のぽすたー(ポスター)をかいた。
私たちはいろいろ な え(絵)を工夫した。
けれどすみ(墨)で美しくする人もあった。
私は色をぬった。
そのうちにひこうきを作りかけた。 みんなさっさとしたので
早く出来た。 そうじをしたから今までいっていた
ししょくかい(試食会)です。 わたしたちはうれしくてたまりません。
さっそくみんながやがやいいはじまった。
私たち日記の人だけのこって いろいろそこらを美しくした。
うれしいししょくかいは、もう明日ですね。
初田さんがこの“えをかかれた。
わたしとモノ(36)
わたしとモノ(36)
モノが豊かになるにつれて、日本人は人間の都合にあわせた生活をするようになった。それまでは、自然に対してあまり刃向かわなかった人々が、モノの生産によって、自然の恩恵を捨て始めたのである。
昔から、動物を殺して食べる習慣は日本にあった。しかし、この習慣は生きていくための狩猟であり、無駄な殺生ではなかったはずだ。
モノの生産増加が、本来日本人が持つ自然に対する意識を変えてしまったのであろう。
そして現在、地球温暖化や森林現象などの環境問題が世界中に起こっている。
また、石油減少による価格高騰が発生し、石油に頼りきりの生活をしている現代人の生活は非常に危うくなっている。
そういうことからであろう。最近、日本ではかつての生活が見直されているように思う。
たとえば、夏はク−ラ−を控えて打ち水をしたり、冬は石油スト−ブの代わりに湯たんぽを使うなどだ。これらは地球にも財布にも優しく、すぐに実行できることである。
また、昭和時代の人々の生活を描いた映画「オールウェイズ三丁目の夕日」が大ヒットするなど、昭和ブ−ムなるものが起こっているのも、それなりの理由があるはずだ。
モノが発展しきった今だからこそ、現代人にはモノが貧しかった時代に生きた人々の智恵が必要なのかもしれない。
(完)
モノが豊かになるにつれて、日本人は人間の都合にあわせた生活をするようになった。それまでは、自然に対してあまり刃向かわなかった人々が、モノの生産によって、自然の恩恵を捨て始めたのである。
昔から、動物を殺して食べる習慣は日本にあった。しかし、この習慣は生きていくための狩猟であり、無駄な殺生ではなかったはずだ。
モノの生産増加が、本来日本人が持つ自然に対する意識を変えてしまったのであろう。
そして現在、地球温暖化や森林現象などの環境問題が世界中に起こっている。
また、石油減少による価格高騰が発生し、石油に頼りきりの生活をしている現代人の生活は非常に危うくなっている。
そういうことからであろう。最近、日本ではかつての生活が見直されているように思う。
たとえば、夏はク−ラ−を控えて打ち水をしたり、冬は石油スト−ブの代わりに湯たんぽを使うなどだ。これらは地球にも財布にも優しく、すぐに実行できることである。
また、昭和時代の人々の生活を描いた映画「オールウェイズ三丁目の夕日」が大ヒットするなど、昭和ブ−ムなるものが起こっているのも、それなりの理由があるはずだ。
モノが発展しきった今だからこそ、現代人にはモノが貧しかった時代に生きた人々の智恵が必要なのかもしれない。
(完)
2011年09月14日
わたしとモノ(35)
わたしとモノ(35)
最後に
この論文を書いたことで、わたしはあらためて自身の周りのモノを整理したくなった。
このテ−マを通して、モノがゴミに変わる瞬間や、本当に大切なモノの見極め方を知ったように思うからだ。
「いま身近にあるモノの中に、自身が本当に必要としているモノはいくつあるだろうか」
「これらを残していても、いつか使う時が来るのだろうか」
そんな戸惑いが、自身の中に沸いてきたのである。
また、モノが豊かになるということは、同時にいろんな犠牲を生むことにも繋がることがわかった。
たとえば、以前あるテレビ番組で、先進国の人が着るアンゴラコ−トを作るには、1着あたり羊20頭分の毛皮が必要≠セということが話されていた。
このことだけでも充分驚かされたが、次の話を聞いて身体に衝撃が走った。
羊を養育しているモンゴルでは、羊は金になると噂になり、人々は大量に羊を飼いだした。しかし、羊の主食は草のため、草原地帯だったモンゴルでは草がなくなり砂漠化が広まった。その結果、砂漠と化したモンゴルの砂は隣国の中国に飛んでいき、風にのって日本に運ばれる。これが黄砂の原因となっている
という話だ。
最後に
この論文を書いたことで、わたしはあらためて自身の周りのモノを整理したくなった。
このテ−マを通して、モノがゴミに変わる瞬間や、本当に大切なモノの見極め方を知ったように思うからだ。
「いま身近にあるモノの中に、自身が本当に必要としているモノはいくつあるだろうか」
「これらを残していても、いつか使う時が来るのだろうか」
そんな戸惑いが、自身の中に沸いてきたのである。
また、モノが豊かになるということは、同時にいろんな犠牲を生むことにも繋がることがわかった。
たとえば、以前あるテレビ番組で、先進国の人が着るアンゴラコ−トを作るには、1着あたり羊20頭分の毛皮が必要≠セということが話されていた。
このことだけでも充分驚かされたが、次の話を聞いて身体に衝撃が走った。
羊を養育しているモンゴルでは、羊は金になると噂になり、人々は大量に羊を飼いだした。しかし、羊の主食は草のため、草原地帯だったモンゴルでは草がなくなり砂漠化が広まった。その結果、砂漠と化したモンゴルの砂は隣国の中国に飛んでいき、風にのって日本に運ばれる。これが黄砂の原因となっている
という話だ。
2011年09月13日
わたしとモノ(34)
わたしとモノ(34)
そういうことが発展して、多くの社会問題が、いま日本で起こっている。
賞味期限改ざん問題がその一例だ。モノが増えすぎて、社会の需要が追いつかなかったのだろう。
現在私たちが使っているモノは、そのほとんどが、戦後の高度成長期にできたモノの延長線上にある。
たとえば、いま中国の経済開発が急スピードで進んでいるが、戦後の日本はこれより早いスピードで成長したのではないだろうか。
そして、その根本には、貧しさから抜け出したいという人々の強い思いがあったことが想像できる。
しかし、モノが豊かになったいまの日本では、このような思いを持つ人をあまり見かけない。
先進国に仲間入りしたいま、この国にはもう急激にモノが発展する時代は来ないように思う。
このままでは、妙な安心感を日本人が持つようになり、そのことが、モノの発展を妨げてしまうのではないだろか。
そうなると、近い将来日本には、モノの発展がなくなる時代がくるかもしれないということを心がけておく必要があると思う。
モノはいつまでもあるという訳ではない。
「まだこのモノは大丈夫だ」と感じたそのときこそが、実はとても重要な瞬間なのであろう。
そういうことが発展して、多くの社会問題が、いま日本で起こっている。
賞味期限改ざん問題がその一例だ。モノが増えすぎて、社会の需要が追いつかなかったのだろう。
現在私たちが使っているモノは、そのほとんどが、戦後の高度成長期にできたモノの延長線上にある。
たとえば、いま中国の経済開発が急スピードで進んでいるが、戦後の日本はこれより早いスピードで成長したのではないだろうか。
そして、その根本には、貧しさから抜け出したいという人々の強い思いがあったことが想像できる。
しかし、モノが豊かになったいまの日本では、このような思いを持つ人をあまり見かけない。
先進国に仲間入りしたいま、この国にはもう急激にモノが発展する時代は来ないように思う。
このままでは、妙な安心感を日本人が持つようになり、そのことが、モノの発展を妨げてしまうのではないだろか。
そうなると、近い将来日本には、モノの発展がなくなる時代がくるかもしれないということを心がけておく必要があると思う。
モノはいつまでもあるという訳ではない。
「まだこのモノは大丈夫だ」と感じたそのときこそが、実はとても重要な瞬間なのであろう。
2011年09月12日
わたしとモノ(33)
わたしとモノ(33)
まとめ
今回のテーマを調べるために、わたしは多くのことを行った。
そして、これまでのわたし自身のモノに対する見方が、とても単純だったことに気づいた。
わたしが「これを捨てるのはもったいない」とか「このデザイン好きだから残して置こう」というような単純な理由で残したモノには、実は、あまり意味がない。
ただ、そこにあるだけで安心というようなモノ、あるいは、特別な思い出が詰まっている訳ではないモノだからだ。
モノはなかなか捨てられない。
しかし、捨てないといつしかゴミになり、本来のモノの価値が無くなってしまう。
ゴミとなったモノは、環境問題や社会問題を巻き起こす原因にもなる。
たとえば、最近日本でゴミ屋敷問題が出ているが、これはモノがゴミに変わってしまった例の一つだ。
捨てる側が持つ「もったいない」という意識が強いため、どんどんモノが溜まってしまったのだろう。
モノを大切にする、大事にすることはとてもよいことだと思う。
しかし、モノを大切にするということは、モノを貯めるということではない。
モノには、それぞれ用途がある。
たとえば、飲食物は美味しさを保っている期限以内に食べるべきだろうし、ノリや石鹸などの消耗品は、新しいうちに使った方がよい。
服は、若いうちに着られるデザインは着ておいた方がよいし、値段で買わない方がよい。
これらはすべて当たり前のことだ。
しかし、案外、できない人が多いのではないだろうか。
家に賞味期限切れの食べ物がないだろうか?
自身が持っている中で使わない服はないだろうか?
まとめ
今回のテーマを調べるために、わたしは多くのことを行った。
そして、これまでのわたし自身のモノに対する見方が、とても単純だったことに気づいた。
わたしが「これを捨てるのはもったいない」とか「このデザイン好きだから残して置こう」というような単純な理由で残したモノには、実は、あまり意味がない。
ただ、そこにあるだけで安心というようなモノ、あるいは、特別な思い出が詰まっている訳ではないモノだからだ。
モノはなかなか捨てられない。
しかし、捨てないといつしかゴミになり、本来のモノの価値が無くなってしまう。
ゴミとなったモノは、環境問題や社会問題を巻き起こす原因にもなる。
たとえば、最近日本でゴミ屋敷問題が出ているが、これはモノがゴミに変わってしまった例の一つだ。
捨てる側が持つ「もったいない」という意識が強いため、どんどんモノが溜まってしまったのだろう。
モノを大切にする、大事にすることはとてもよいことだと思う。
しかし、モノを大切にするということは、モノを貯めるということではない。
モノには、それぞれ用途がある。
たとえば、飲食物は美味しさを保っている期限以内に食べるべきだろうし、ノリや石鹸などの消耗品は、新しいうちに使った方がよい。
服は、若いうちに着られるデザインは着ておいた方がよいし、値段で買わない方がよい。
これらはすべて当たり前のことだ。
しかし、案外、できない人が多いのではないだろうか。
家に賞味期限切れの食べ物がないだろうか?
自身が持っている中で使わない服はないだろうか?
2011年09月11日
わたしとモノ(32)
わたしとモノ(32)
第四章 いま感じていること
最近、日本人のモノの見方や価値観が非常に低下していると思う。
この原因のひとつに、日本が戦後、高度経済成長を遂げたことが考えられる。
戦後の急激な経済発展により、日本の国民は非常に裕福になった。
外国から大量生産方式の仕組みが取り入れられ、国内ではモノの流通が盛んになった。
大量生産を行うようになった日本では、利益や利潤の追求を求める企業が続々と現れた。売れるモノを、消費者が買いたいと思うモノを、企業はどんどん生産するようになった。
その結果、日本経済はとてつもないスピードで発展した。
しかし、その裏では水俣病・四日市喘息・アスベストなど多くの犠牲が生じた。
また、モノの普及率があがり、企業が大量生産を行ったことによって、徐々に日本人のモノに対する価値観が下がってきたように思う。
ここでの「下がる」という意味は、廃れる・見分けが出来なくなる・決断力がなくなるという意味で使っている。
そして、簡単にモノが手に入るようになった現在の日本社会では、モノが貧しかった時代と比べて、モノの貴重性や重要性が薄まりつつあるのではないだろうか。
第四章 いま感じていること
最近、日本人のモノの見方や価値観が非常に低下していると思う。
この原因のひとつに、日本が戦後、高度経済成長を遂げたことが考えられる。
戦後の急激な経済発展により、日本の国民は非常に裕福になった。
外国から大量生産方式の仕組みが取り入れられ、国内ではモノの流通が盛んになった。
大量生産を行うようになった日本では、利益や利潤の追求を求める企業が続々と現れた。売れるモノを、消費者が買いたいと思うモノを、企業はどんどん生産するようになった。
その結果、日本経済はとてつもないスピードで発展した。
しかし、その裏では水俣病・四日市喘息・アスベストなど多くの犠牲が生じた。
また、モノの普及率があがり、企業が大量生産を行ったことによって、徐々に日本人のモノに対する価値観が下がってきたように思う。
ここでの「下がる」という意味は、廃れる・見分けが出来なくなる・決断力がなくなるという意味で使っている。
そして、簡単にモノが手に入るようになった現在の日本社会では、モノが貧しかった時代と比べて、モノの貴重性や重要性が薄まりつつあるのではないだろうか。
2011年09月10日
わたしとモノ(31)
わたしとモノ(31)
三、サザエさん
サザエさんという漫画がある。ちょうど、この頃の世間のくらしを反映していると思う。
サザエさんは1946(昭和21)年、福岡の夕刊新聞「夕刊フク二チ」に初登場した。
サザエさんという24歳の女性が主人公で、7人の磯野一家(数字は登場人物の年齢…サザエ24,マスオ28,タラオ3,ナミヘイ54,フネ50代,カツオ11,ワカメ9)の生活を描いた漫画だ。
ここには、当時の社会の出来事や人々のくらしが描かれている。詳しいことは「サザエさんからいじわるばあさん」という本にある、サザエさん年表に載っている。
ここでは、その年表を紹介しておく(略)
三、サザエさん
サザエさんという漫画がある。ちょうど、この頃の世間のくらしを反映していると思う。
サザエさんは1946(昭和21)年、福岡の夕刊新聞「夕刊フク二チ」に初登場した。
サザエさんという24歳の女性が主人公で、7人の磯野一家(数字は登場人物の年齢…サザエ24,マスオ28,タラオ3,ナミヘイ54,フネ50代,カツオ11,ワカメ9)の生活を描いた漫画だ。
ここには、当時の社会の出来事や人々のくらしが描かれている。詳しいことは「サザエさんからいじわるばあさん」という本にある、サザエさん年表に載っている。
ここでは、その年表を紹介しておく(略)
2011年09月09日
わたしとモノ(30)
わたしとモノ(30)
服を買うために針中野まで行った話などからみても、母が小学生のころは、どうやらまだ簡単にモノが手にはいらない時代だったようだ。
そして、新しいモノを買うのではなく、あるモノを工夫して使っていたことに、当時の人の努力や知恵のすごさを感じさせられた。
また、後で聞いた話だが、当時のお店には色々なモノが売っていて楽だったようだ。たとえば、駄菓子屋にはお菓子を売る場所とタバコを売る場所があったらしい。
そのため、一つのお店で様々なモノが手に入ったようだ。
また、牛などの動物は、畑を耕す・荷物を運ぶ・食糧になるなど、様々な役割を果たした。
モノはなくとも、一つのモノがいろいろな役割を果たした。それゆえ、とても便利な時代だったのではないだろうか。
服を買うために針中野まで行った話などからみても、母が小学生のころは、どうやらまだ簡単にモノが手にはいらない時代だったようだ。
そして、新しいモノを買うのではなく、あるモノを工夫して使っていたことに、当時の人の努力や知恵のすごさを感じさせられた。
また、後で聞いた話だが、当時のお店には色々なモノが売っていて楽だったようだ。たとえば、駄菓子屋にはお菓子を売る場所とタバコを売る場所があったらしい。
そのため、一つのお店で様々なモノが手に入ったようだ。
また、牛などの動物は、畑を耕す・荷物を運ぶ・食糧になるなど、様々な役割を果たした。
モノはなくとも、一つのモノがいろいろな役割を果たした。それゆえ、とても便利な時代だったのではないだろうか。
2011年09月08日
わたしとモノ(29)
わたしとモノ(29)
道路の整備もはじまったわ。
そのときには、もうロバのパン屋も来なくなってたんかなあ。コ−ルタ−ルっていうグレ−に近い黒色の液体を道路に撒いてたわ。
道路の整備がはじまると、牛がいなくなって車の時代になってきたなあ。
田んぼでも牛じゃなくて耕運機使う人が出てきたねん。多分日本全体が、機械化に突入したんやろなあ。
日本人って手先が器用やから、丁寧に精巧にモノを作るのって上手かったと思うし、海外の技術や先進国の技術をどんどん取り入れていったんやろうなあ。
多分中学校3年生ぐらいの時には、白黒テレビがカラ−テレビに変わったと思うわ。
通ってた中学校が越境やったから、その時ぐらいから都会に遊びに行くようになったわ。
もうこの頃には、映画や音楽とかの大衆娯楽が出まわってたかなあ。
道路の整備もはじまったわ。
そのときには、もうロバのパン屋も来なくなってたんかなあ。コ−ルタ−ルっていうグレ−に近い黒色の液体を道路に撒いてたわ。
道路の整備がはじまると、牛がいなくなって車の時代になってきたなあ。
田んぼでも牛じゃなくて耕運機使う人が出てきたねん。多分日本全体が、機械化に突入したんやろなあ。
日本人って手先が器用やから、丁寧に精巧にモノを作るのって上手かったと思うし、海外の技術や先進国の技術をどんどん取り入れていったんやろうなあ。
多分中学校3年生ぐらいの時には、白黒テレビがカラ−テレビに変わったと思うわ。
通ってた中学校が越境やったから、その時ぐらいから都会に遊びに行くようになったわ。
もうこの頃には、映画や音楽とかの大衆娯楽が出まわってたかなあ。