2015年03月23日

リー・クアンユー元シンガポール首相のこと

リー・クアンユー元シンガポール首相が亡くなりました。
偉大な指導者とあちこちで称賛されています。
わたしもいまの段階で、彼をおとしめたくはありません。
しかし、冷たく見る目も必要なように思います。
シンガポールの建設に、ほんとうに、あの強権を必要としたかどうか?
問われてもいいように思うのです。
シンガポールは、都市だけです。
農村がありません。
いってみれば、東京、ジャカルタ、バンコック、クアラルンプール・・・。
それぞれに繁栄を誇っています。
それらの都市と、何が違うのか?
それらの都市の市長さんたちは、どうして「偉大な指導者」といわれないのか?
歴史に「もし」は禁物と承知しながら、それでも、
あの強権抜きでも、シンガポールがもっと発展していた可能性があるだろう、と思っています。
(80年代末ですが、数年、シンガポール駐在をしていたもので、つい、書きたくなりました)
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2014年11月15日

子どもの目で見た満州引き揚げ(1)

終戦の日の前日、内戦を目撃  
 昭和20年8月14日午後、戦況は末期にあることを知っていた母と祖母は、神妙な面持ちでラジオの放送に耳を傾けていた。
その時、窓の外でパンパンパンという銃声と怒号が突然激しく行き交うのを聞いた。
その騒ぎに驚き、二階の廊下の窓に架かるカーテンの隙間から覗き見ると、家の前の広い道路を隔てて兵隊たちが撃ち合っていた。
 子供の目には、同じ顔をした兵隊たちが仲間同士で撃ち合うのが不思議に思えた。
後で知ったのだが、これは以前から反目し合う蒋介石率いる国府軍と、毛沢東率いる中国共産党軍(八露軍=パーロ)が、戦勝国としての統治権を競って撃ち合いをしたのである。
 目前で兵士が倒れ、歩行中の一般人が流れ弾に当たって倒れる。そのうち、銃声が一段と激しくなり、我が家のガラス窓にも穴が空いた。俺は母に首根っこを掴まれ、引き倒されて部屋の奥に引きずりこまれた。
正に文字通りの市街戦であり、直近の距離で撃ち合うというアナログ極まる戦いである。それを、幼かった俺は見た。
子供同士が玩具の銃で撃ち合う戦争ごっこのようだったが、その跡には、確かに多くの兵士たちが横たわり動かなかった。この事件が俺たち家族の不幸への旅立ちの前触れであった。
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2013年07月24日

発展途上国 日本

日本とアジア 情報化社会編(30)

最終回です。
農業の時代、産業の時代と経過して、いま迎えた情報化の時代。
地球化(グローバリゼーション)は、避けようもありません。
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それは、個人がいろいろな集団の個人とつながり、競う個人戦の世界。
国や企業が、次々と戦士を繰り出して集団戦を戦った産業の時代とは全く異なる世界です。
求められるのは、一人ひとりの創造力、伝える力、主張する強さ――。
このような市民の形成という点で、日本が、いいようもなく発展途上国だということ。
振り返れば、縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を加えただけのモノカルチャー国家。
「和をもって貴しとなす」が出発点のわたしたち。
産業の時代の大成功を実現した、わたしたちの同質性への偏向。
しかし、時代は変わりました。
新しい人物像が求められています。
    (完)
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2013年07月23日

日本型市民像

日本とアジア 情報化社会編(29)
「世界人類が平和でありますように」――そんな標識を四国の山中で見かけました。
「人類皆兄弟」と、ごく普通に思える、わたしたちのノーテンキさ!
「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼に、自らの安全と生存をかける、潔さ!?
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身の回りの人々、そのまた周りの日本の人々、そのまた周りの世界の人々――みんな仲間。
そんな、わたしたちの感性。
しかし、まったく別の感性もあります。
「他者」は危険――あなたを殺すかもしれない「他者」、あなたから家族や財産を奪うかもしれない「他者」。
その存在を前提に生きる――(多分)世界標準です。
そして、「みんな仲間」のわたしたちが、異質な「他者」の存在を許容できない矛盾。
「異」を唱えることができず、「違い」に直面すると、たじろいでしまう弱さ。
そこに、(従来の)日本型市民像を見るように思います。
(この問題は前に、一度触れました。
「All-we社会とWe-they社会」 
http://yseminar.sblo.jp/article/64116085.html
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2013年07月22日

日本はどうなる?

日本とアジア 情報化社会編(28)
かつて1億総中流といわれた日本。
産業の時代に世界をリードした日本。
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それを実現したのは、(均質で、同じ情報・モノを共有し、従順な) 国民国家型市民。
集団戦には、圧倒的に有利でした。
その背後に、「頼れる国家」、「頼れる企業」がありました。
しかし、あたらしく迎えた情報化時代。
個人戦を戦う、(多様で、国際社会で主張できるタフな)情報社会型市民が求められます。
「国民国家型市民」から「情報社会型市民」に、わたしたちは変われるでしょうか?
個人戦の時代はまた、家、企業、クニといったもろもろの「集団」が希薄化する時代です。
産業の時代に有効だったクニの仕組み(代議民主制)が、しだいに機能しなくなっているようにもみえます。
新しい仕組みが生まれるでしょうか?
産業の時代、safety netは、家、企業、国家といった集団に任されていました。
その集団が希薄になる時代。
新しいsafety netはどこに求められるのでしょうか?
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2013年07月21日

アジアの選択肢

日本とアジア 情報化社会編(27)

アジアの国々のこれから――。
三つの選択肢があるように思えます。情報の27.JPG
1)まずは、現状維持
 専制国家の別名は、賢人政治です。
 農業時代そのままに、ヒツジと羊飼いに分断された社会。
 ヒツジにパン(成長)とサーカス(対外緊張)を与え続ければ何とかなる!
 羊飼いたちは、そう考えているようです。
 そして、賢人統治の裏側に、汚職の蔓延があります。
2)民主化
民主主義の別名は、多数派専制。
(諸々の)少数派には悪夢です。
制御不能な暴走が懸念されます。
3) <弱い中央>による統合
ある種の、地域連合国家、アメリカ合「州」国型。
いま、地方分権で成功している国があります。
スハルト政権崩壊(1998年)後のインドネシアです。
極端な中央集権だったスハルト時代。
スハルト政権が崩壊して、かつての分離・独立運動指導者が知事や市長に。
権力も資金も大幅に地方に移りました。
すると――分離・独立運動は雲散霧消。
そして、なにより地方が活気づきました。
自分たちの運命は、自分たちで決める。
そんな感覚が広がったのです。
もっとも、皮肉にこんなことをいう人もいます。
「汚職が小規模になり、全国に拡散した」
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2013年07月20日

頼れない「国」

日本とアジア 情報化社会編(26)
(農業社会型)帝国――それが、アジアの国々。
「国」と「民」が、バラバラ。
「民」が、いくつものグループに分かれてバラバラ。
頼れない国。
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そのことから生まれる、「自己本位で、超国家的で、独自に主張できる」多様な市民。
そして、とても興味深いことに、それこそが、情報化社会が求める市民像です。
つまり、時代の最先端を行く市民たち!?
また、「国家が頼れない」なら、別のsafety netが求められます。
それが、同族集団、宗教グループ。
そして、それらがバラバラの根っ子にある現実。
専制国家は、なにか別のかたちに変われるでしょうか?
分断されたsafety netは、いつまでも機能し続けるものでしょうか?
posted by Yoshimura_F at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2013年07月19日

まったく違う

日本とアジア 情報化社会編(25)
まったく違う
アジア諸国でいま、起こっていること。
日本でいま起こっていること。
両者が、まったく違うこと。
そのことをはっきり認識する。
そうしないと、アジアに裏切り続けられるでしょう。
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縄文人と弥生人、それに若干の渡来人を1000年以上にわたってこねあげてきた日本人。
国民国家をつくり、高度な産業社会を実現しました。
そんな社会がいま、情報化社会に足を踏み入れ、もがいています。
アジア諸国――。
さまざまな民族集団、いくつもの宗教集団。
「クニ」と「民」に分断され、農業時代そのままの帝国システム。
そんな国々がいま、産業化と情報化を同時進行で進めています。
posted by Yoshimura_F at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2013年07月18日

「バラバラ社会」の現実

日本とアジア 情報化社会編(24)
「バラバラ社会」の現実
わたしたちがアジア諸国を見て、おかしいと感じること。
「理解不能」と思うこと――汚職・強権体質、格差、お役所仕事、因習、衛生問題、etc etc.
その多くは、日本とは違う「バラバラ社会」で説明できるように思います。
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「クニ」と「民」が、バラバラ。
「民」が、民族や宗教、地域(言語)でバラバラ。
そんな、バラバラ社会。
「民」にとって、他者であるクニ、「公」。
だれが信頼します? だれが頼ります?
頼れないクニ。
すると、頼るのは――おカネ、コネ。
そして、確かな仲間――結局、同族。
すると、全体はますますバラバラ。
他方、クニからみれば、他者である「民」。
そして、クニとは、公務員集団とその周辺のこと。
腐敗も強権も、必然です。
(日本も?? とはいえ、一度は産業社会を経験しました)
posted by Yoshimura_F at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集

2013年07月17日

アジア諸国のいま

日本とアジア 情報化社会編(23)

いろいろな民族、宗教に分断されて、バラバラ。
国民国家が形成できず、農業時代そのままの帝国・王国システム。
ごく少数の羊飼い集団が、ヒツジたちを統治する――。
そんな国々がいま、情報化社会に向けて舵を切っています。
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2つの課題があります。
ひとつ、農業時代そのままの帝国システムを、産業時代に相応しい国民国家システムに切り替える。
つまり、ヒツジと羊飼いに分断された社会を民主化し、国民国家を建設する。
そのことを通して、産業社会を実現する。
ふたつ、時代の情報化に適応する。
短冊(民族、地域、宗教)が分断を越えてつながり、さらには、国境を越えて、世界各国の人々とつながる<横棒社会>に参入する。
国民国家という地域社会を形成しながら、同時に、「脱・集団」の情報化時代に適応する。
相反する課題。
サーカスの綱渡りのような、狭い道です。
posted by Yoshimura_F at 06:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 卒業論文集